京都散歩〜知恩院

◆知恩院とは

「華頂山知恩教院大谷寺」が知恩院の正式名称です。法然上人創建した浄土宗の総本山です。

平安時代の終わりから鎌倉時代はじめころの時期に、比叡山で修行し浄土宗の開祖となった法然上人が、この山の中腹あたりに小規模なお堂を築いたのが知恩院の始まりです。後の1234年、法然上人の弟子の源智が法然上人を開山に迎え寺院として創建なりました。その後は室町幕府足利将軍家の庇護で発展したり、一時的には荒廃した時期なども経ていますが、ここまで大きな寺院になったのは江戸時代に入って徳川将軍家の帰依を受けてからです。知恩院の第二十五世住職が三河徳川家出身という縁もあり家康以降の徳川家に庇護され家康の母親の菩提を弔う寺となり、繁栄を極めていきます。

室町時代1431年の火災に始まり200年間に4回の火災に見舞われていますが、その都度再建されて現在に至っています。

◆知恩院へ

四条通から八坂神社を超えると円山公園に出ますが、枝垂れ桜を左に行くと次第に巨大な山門が見えてきます。いつも観光客が多くいる、京都で最も人が集まるあたりです。

◆三門(国宝)

約400年前に徳川第二代将軍秀忠によって建てられた国宝の巨大な三門です。高さ24m横幅50mと言う大きさで、こちらの前を通るたびこの大きさにはいつも圧倒されます。室内空間を形成している上層部(2階)がある「楼門」という形式です。二階の内部は非公開ですが、たまにテレビで特別に公開した映像が流れたりするのでどのような感じなのかは割と知られているのでは無いでしょうか。(特別拝観の期間等もあります。)小規模のお寺なら本堂といえるほどのしっかりした仏堂がしつらえてあります。

二階は御所まで見渡せるこの門の二階は、朝廷の動きを監視する機能を持っていたと言われています。

◆御影堂(大殿)(国宝)

三門から正面に見える石段を、かなりの脚力を用いて登ると法然上人の御影をお祀りする御影堂(みえいどう)があります。ちょっと前までは解体修復工事中で大きな仮設屋根に覆われていましたが、9年間かけた工事が2020年4月に完成しています。江戸時代初期の1639年、3代将軍の家光によって建造された幅45メートル、奥行き35メートルの壮大なお堂です。屋根に使用されている瓦は9万枚、屋根の最上部には数枚の葺残しの瓦が残されています。これは、物事は完成したらあとは廃れたり壊れたりを待つだけであるが、この建物はまだ未完成であり発展はこれからだという念を込めているということです。

御影堂とは開祖の法然上人を祀るお堂です。自由に上がって参拝することができます。須弥壇中央の「宮殿」という厨子に法然上人を祀り、その須弥壇を含む内陣を中心として手前に広い外陣を配置、内陣の周りにはほとんど仕切りがなく御影堂全体に大きな一体感があるのが特徴です。

タイミングが合えば僧侶が読経されていたり、法話を聞いたりすることもできます。

内陣の天井は折上小組格天井という升目状の木組みが素晴らしい天井です。須弥壇内部は黄金に輝いており、使用された金箔は10万枚以上です。

鶯張り(うぐいすばり)の廊下も有名です。キュキュッ、キシキシッと、決して心地良い音ではないのですがどことなく歴史を感じさせる和の音という感じがします。

またこちらも他のお寺さん同様に今までに幾度かの火災に見舞われていますが、これまでのその教訓を活かして各お堂の渡り廊下は柱が外れる構造になっており、火災の際には柱を外し廊下が崩れ延焼を防ぐことができるのです。

こちらでは「みえいどう」ですが他のお寺さんでは同じ字を書いて「ごえいどう」と言うところもあります。

◆大梵鐘と大鐘楼(重要文化財)

江戸時代初期1636年に信徒の寄進により出来上がった大鐘は重要文化財で、直径2.8m、高さ3.3m、銅の厚さ30cmで重量70トンの巨大さです。日本三大梵鐘のひとつとされています。毎年除夜の鐘として大勢の僧侶に撞かれるので有名ですが、この大鐘が撞かれるのは4月の法然上人の法要、12月27日の試し撞き、大晦日のみです。胴体にはただ一言(南無阿弥陀仏」と書かれていますが、これには方広寺の事件(国家安康の文字に家康が怒り、大坂の夏、冬の陣の引き金となった)を教訓に後の世に災いとならないように配慮されたものです。

◆阿弥陀堂

現在は御影堂の横に建っていますが、元々は勢至堂の近くにあり1710年に移築されました。明治期に荒廃が進んだことから現在の建物は1910年に新しく建て直されたものとなります。御本尊の阿弥陀如来は高さ2.7mで西方浄土のある西を背にしてお座りになられています。

◆方丈(重要文化財)

大方丈と小方丈から成る、1641年に3代将軍の家光によって再建された重要文化財の建物です。大方丈は仏間を中心に10室あり、狩野派の障壁画で埋め尽くされた豪華なつくり。特に狩野信政筆の菊の間に描かれた紅白の菊に数羽の雀の絵はあまりに見事に描かれていたため、雀が命を宿して飛び去ってしまったとされて、絵には雀が飛び去った跡だけが残ってる状態という七不思議のひとつです。

小方丈はこれと対照的に6室から成る水墨画が描かれた室を有しています。

方丈庭園は国指定名勝であり、座視鑑賞式庭園、二十五菩薩の庭

◆知恩院の七不思議

一、忘れ傘・・・御影堂の正面外廊下の軒下の垂木の間に、誰かが置き忘れたかのように置かれている傘。江戸時代ですので現代の傘のようなものではなく、番傘の大きいものがさり気なく置かれている感じです。傘は雨に通じることから、水を連想して火除けのおまじないだとされています。江戸時代の著名な彫刻技師である左甚五郎の作とされています。

二、大杓子・・・大方丈前の廊下の天井梁に渡すように置かれている2,5メートルにもなる大きな杓子(しゃくし)。杓子は簡単に言うとしゃもじの事で、ご飯をすくう道具です。「すくう」と「救う」がかけられているようです。

三、絵から抜け出た雀・・・狩野派の絵師信政が描いた大方丈の襖絵の雀が、あまりにも上手に描かれていたので、魂を得て飛んで逃げてしまったという。現在残されている絵には雀が飛んでいった跡の輪郭がぼんやり残っているような感じの状態。

四、白木の棺・・・こちら通常拝観できない三門の楼上にあるため未確認ではありますが、不思議というよりは実際にあった悲話と言った内容です。秀忠の建立となるこの巨大な三門ですが、製作の予算を超えてしまった責任を感じて自ら命を断った造営奉行、五味金右衛門夫妻を弔うために、楼上の仏間に安置されている木造が収められているとのことです。

五、鶯張りの廊下・・・詳細は後述しますが、この廊下静かに歩いてもきしんだ音が出るため、不法侵入者の存在を知ることができる機能を持つ廊下です。

六、瓜生石・・・こちら知恩院の境内から出て前面道路を渡ったあたりにあるのでどこにあるか分かりづらいかも知れません。

七、八方睨みの猫・・・八方睨みと言うと禅寺の法堂天井に描かれている龍の絵がまず想像されるかと思いますが、それと同じようにどの角度から見てもこちらを睨んでいる猫の絵が方丈の廊下の板戸に描かれています。

徳川家の家紋も。
御影堂のあるエリアから更に上に登る石段。

◆勢至堂(重要文化財)

御影堂のあるところからもう一段上に登ると鎌倉時代造立で重要文化財の勢至菩薩像を祀る勢至堂があります。この場所が法然上人が最初に庵を結んだ知恩院の祖の場所です。また写経を行うお堂もこちらにあります。

室町時代建立となる重要文化財の建物で、知恩院で最も古いお堂です。

◆御廟

更にもう一段上の最上段には法然上人の御廟があります。ここまで登ってくると今まで見てきた大寺院の規模の大きな印象を忘れ非常に神聖な空気を感じます。

最後に再び三門に来ました。やはり大きい、と思わずにいられない大きさです。、、、追伸。御影堂の修理も終わって、晴れて素晴らしい全景が見られるようになりました。ぜひ。

少し離れて撮ってみました。お堂でなく門です。

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