
青蓮院門跡とは
京都 東山、知恩院の隣にひっそりと佇む侘び寂び深いお寺、青蓮院門跡(しょうれんいん もんぜき)。門跡とは天皇やその他皇族がお寺の住職になることで、その寺そのものを言うときにも使います。もちろん明治になる前までの話であって現代ではその習慣はもうありませんが、こういったお寺が当時の姿をそのまま残すことに努力してきてくれたお陰で、今でもその当時の姿を偲ぶことができるというものです。

青蓮院門跡は、天台宗の開祖である最澄(伝教大師)が延暦寺を開く際に比叡山に作った僧侶の住房、青蓮坊がその前身となっています。その後、鳥羽法皇が子息をこの寺に入れた事から門跡寺院としての「青蓮院」が始まりました。三千院、妙法院とともに天台宗の三門跡であり、ここの地名から粟田御所とも呼ばれ、江戸時代後期の天明の大火で京都御所が焼けた際には後桜町上皇の仮御所として使用されたという歴史があります。

青蓮院門跡へ
青蓮院門跡を訪れる際には地下鉄東西線の東山駅が便利で徒歩5分ほどです。祇園四条駅から祇園や産寧坂などを巡ったあとでなく、東山駅到着後に最初に来てじっくりとこの風情ある建物と庭を堪能して頂きたいです。厳かで雅さも感じる宸殿などは御所のような雰囲気を感じ取れます。門前に堂々とした楠の巨木が林立しているのですぐにわかります。午前中の早めの時間での参拝が観光客も少なめでおすすめですが、開門間際だと誰もいない状態で華頂殿の撮影を楽しむ事もできるかと思います。

山門は前面道路から駐車場などを介した少し奥まったところにあります。この場所からは境内の雅(みやび)で優雅、かつ侘と寂を感じる庭園があるとはうかがい知れません。山門を入ってすぐに境内が広がるという訳ではなく一旦右に折れて少し行って更に左に折れるとお堂の入り口と拝観受付があります。山門からのアプローチが、広く公開されていない邸宅のような雰囲気の、門跡寺院らしい佇まいを感じます。三千院門跡も曼殊院門跡も同じような佇まいです。

華頂殿
拝観受付を済ませると室内に上がって、全ての建物を巡って見学できます。受付を過ぎて関連商品やお土産物のコーナーがあり、その奥は白書院とも呼ばれる「華頂殿」という、訪問客を受け入れる客殿があります。

室内で最も印象的なのはこの襖絵です。入室した人は誰もがこの襖絵に注目するでしょう。色の鮮やかさももちろん構図が楽しげで、よく見ると蓮の葉にいろいろな小動物が隠れています。この襖絵は「ロックな壁画アーティスト」として有名な「ki-yan」氏の作品で、タイトルは「蓮 青の幻想/生命賛歌/極楽浄土」です。ここ青蓮院門跡以外にも数多くの室内壁画を制作されています。


華頂殿の縁側からの眺めは、相阿弥(そうあみ)による作庭の池泉回遊式庭園です。相阿弥は室町幕府第8代将軍足利義政 に近い絵師、作庭家です。足利義政は将軍というよりは、銀閣寺を建立するなど文化人といった方がしっくりくる人でしたのでこういった人物が周りには何人も居たようです。ちなみに相阿弥という人物ですが観阿弥、世阿弥とは名前は似ていますがこちらは同じ室町時代の能役者です。







小御所
華頂殿を挟んで向かい合うように建つのが小御所です。門主が来客と対面する場であり、後桜町上皇が仮御所としていたときはここに居住していたようです。明治の火災で建物が焼失して以降は江戸時代の別の建物を移築してきています。

こちら門跡寺院ですが門跡寺院の特徴として、他のお寺さんのように広く衆生の民を救うと言った役割で無く、ここに関連する人のための個人の寺となります。よって本堂があって内陣に仏様がおられて外陣にてお参りするという場がありません。(お賽銭を入れて綱を振って鰐口を鳴らす、あの普通のお寺のお堂がないという事です。)それによりどちらかというとお寺というよりも、御所や離宮のような高貴な印象を受けます。

このお寺ほど、死角の無い完璧なまでの美を意識したお寺はないのではないでしょうか。襖絵、欄間の彫り物、飾られた絵などの室内の装飾や建物の内外の造りから庭園までどこを見ても美を感じます。

小御所の前庭に置かれた細長い楕円の手水鉢(ちょうずばち)は「一文字手水鉢」と言って秀吉が寄進した物になります。

本堂(熾盛光堂)
小御所の裏手にひっそりと境内の一番南側の端に建つのが青蓮院門跡の本堂である熾盛光堂(しじょうこう どう)です。熾盛光如来曼荼羅図を本尊としているためにこの名があります。あまり聞きなれない言葉ですが、これを本尊としているのはここだけだそうです。

宸殿
宸殿も明治の火災で焼失しましたが忠実に再現して再建したものが現在の建物になります。儀式や法要を行う場所で、中央の須弥壇には歴代天皇の位牌が祀られています。部屋の周囲には菊の紋の入った御簾(みす)が掛けられており、雰囲気としては現在でも門跡寺院そのものです。

浄土真宗の宗祖である親鸞は青蓮院で9歳の時に出家の儀式を行い、この宸殿で得度したと伝わっています。その縁もあって境内には親鸞ゆかりの史跡や お堂があります。

建物を出て庭園へ
建物内を一通り見学し終えたら玄関の横に戻って自分の靴を持って庭園側の降り口から外へ出ます。すると白壁が行く手を遮っていますが、低い位置でくり抜いた開口をくぐれば庭園に出ることができます。

相阿弥の庭
華頂殿と小御所の前に広がる、池を擁した庭園が相阿弥が作庭した庭です。ここは池泉回遊式庭園となっており、池を中心に一周回りながら庭を楽しむことができます。


小堀遠州の庭
相阿弥の庭に並んで続いているのが小堀遠州の庭です。小堀遠州は、江戸時代の初期に徳川家康に仕えた武士でもあり茶人としても活躍していた人物ですが、ここ京都では作庭家としての才能を発揮した素晴らしい庭の解説にてこの名前を聞くことが多いです。

相阿弥の庭と小堀遠州の庭、別々の作庭家の作品が並んで一続きになって配されている庭というのも珍しいです。相阿弥は室町時代、小堀遠州は江戸時代なので想像するに、相阿弥の庭が先に出来て、その後江戸時代に上の写真の建物を建築する際に土地を整備して小堀遠州の庭を作庭したと思われます。この建物は青蓮院門跡のHPでも紹介がありませんが、住職の居住スペースであると思われます。


こちら青蓮院門跡へは何度来たか数えきれませんが、毎回毎回この素晴らしい佇まいに飽きることがありません。一通り見学して最後に庭の裏手に出ますと、こじんまりとした鐘楼があります。そこには「ご自由にお撞き下さい」との案内板が。昨今のお寺で梵鐘を撞けるところは少ないので、折角でもありますので有難くボーンと。


ここを出るとまたアスファルトの道路を歩いて車をよけながら次なる目的地を探す訳ですが、せめてこの雅な風景がこの日本のはるか昔あったという事実に思いを馳せていたいと思いました。