京都逍遥 《正伝寺》

隠れた名刹

まず最初にこのお寺さんに行こうと地図を見てちょっと驚きます。山門から本堂に至るまで周りを全てゴルフ場に囲まれているのです。ここは五山送り火の「船形」のすぐそばであり、西加茂の農家の畑が点々と残るのどかな雰囲気の地域ですが、なんとも酷い開発をしたものです。

五山の送り火、船形の火床が近い。

この辺りは東山界隈や嵐山などの賑やかな観光地とは全く趣きを異にしたところであり、こちら正伝寺も派手さのある観光寺院でもなく、参拝に訪れるにはバスを長々と乗ってこないといけないというような場所に存在します。本当にお寺好きが訪れる寺と言った感じです。

質素な山門

正伝寺へ

アクセス方法で一番スマートなのはバス利用です。京都駅から京都市バス9番系統に乗車し堀川通をずんずんと北上して45分ほどの乗車ののち神光院前バス停下車、徒歩10分ほどです。バス停を降りて山の見える方向に向けて歩いていくと船形の送り火の火床が見えてきます。更に山の際に沿って歩いていると山門が有りました。仁王門でも楼門でもない、質素なこじんまりした門をくぐって入山します。

自然そのままと言った状況の参道を登っていき本堂がチラチラと見えだすあたりから、苔むした石垣が風情を感じさせるとともに長い歴史の存在を物語っています。左手の木立の中に鐘楼が見えますが、お寺の境内というよりは森の中にあるといった状況です。

木立の中に建つ鐘楼

庫裡と本堂が連なった一連の建物があるだけというこじんまりとした寺です。正面玄関横の受付で拝観料400円を納めつつ御朱印のお願いもここで済ませておきます。受付の前から短い廊下を進むと本堂の縁側に出ます。

境内から本堂を臨む

誰もいない広縁には中央部分に赤の毛氈が敷かれて、庭園の緑と対照的な色合いを構成しており目に鮮やかです。この庭、一般的な枯山水庭園とは少し趣を異にしている印象を受けます。それは白砂と刈り込まれた植栽だけで整えられており石を配していないため、柔らかで優しい印象です。

枯山水庭園の先には比叡山の遠景が

枯山水の庭の遠景には遥か比叡山を臨む事もできます。そうするとこちらも天台宗のお寺かと早とちりしそうですが、こちら正伝寺は正式には正傳護国禅寺と言い、臨済宗南禅寺派の禅寺です。臨済宗の宗祖である栄西(ようさい)は比叡山で修行しているので、そう考えると意味深いものを感じます。

撮影に関しては、庭園の撮影のみが許されています。お堂内部には狩野山楽の筆による重要文化財指定の襖絵が見事ですが、撮影は不可となっています。これについては正伝寺ホームページにて詳細を確認できます。

この広縁の端には正伝寺を取り上げた雑誌や新聞記事が置かれており、中でも大きく取り上げていたのが、京都好きとして知られる故デヴィッド・ボウイ氏がこの枯山水を非常に気に入っていて、日本でのCM撮影の際には撮影場所としてここ正伝寺を指定してきたそうです。この広縁に佇み涙を流していたと言うエピソードは有名です。

この広縁の天井は血天井としても知られています。京都で血天井のあるお寺というと、大原の宝泉院、七条の養源院、鷹峯の源光庵も知られていますが、こちらもそれらのお寺と同じで、1600年の伏見城での戦にて鳥居元忠の軍勢が石田三成方に攻められて集団自決した際の城の床板を天井に上げて供養しているのです。その血天井をよく見ると確かに手形や足形らしきものが残っています。

本当にこの本堂しかないお寺ですが、のんびり静かに佇んで雑念を一時的にでも取り払ってしまうにはもってこいのお寺です。1273年にこの場所ではなく烏丸今出川の地にお堂を建立したのに始まり、1282年にこの場所に移ってきましたが、やはり応仁の乱で堂宇すべて焼き尽くされて荒廃し、後の家康の時代になって復興を果しています。家康の縁であると推測されますが、南禅寺塔頭の金地院からお堂の移築を行ったのが現在の本堂です。

この枯山水庭園の植栽はツツジであるそうで、向かって右から植木の数が7、5、3合計で15となり、仏教では15は縁起のいい数字(完全もしくは完成を表すとも)とされているためのこの配置であり、「獅子の子渡しの庭」と呼ばれています。場所は異なりますが南禅寺方丈の庭園は「虎の子渡しの庭」と呼ばれる小堀遠州作庭となる庭園ですが、その作庭意図は同じで中国の故事から虎の母親が3匹の小虎を連れて川を渡る場面を模して作庭されています。

庭を眺めながらひとり静かに何も考えずにゆっくりする。お寺に来る事の最も大切な要素をここでは本当に思う存分味わえます。紅葉の時季などはずらして、静かに参拝できる季節に訪れたいお寺です。

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