奈良観光あれこれ 《唐招提寺》

唐招提寺とは

唐招提寺へは修学旅行で訪れたことがあるという方も多いかと思います。ここは歴史的にも非常に重要な立ち位置にあった存在であり、国宝を多数有し世界文化遺産に登録されているお寺です。ここに来れば歴史の教科書を何度も読まずとも、この天平時代に建立された建物群に触れれば自ずとその歴史の深さを理解できるというものです。

ここ唐招提寺の世界文化遺産登録は『古都奈良の文化財』ということで1998年に登録となっています。唐招提寺単独での登録ではなく、東大寺、薬師寺、春日大社、興福寺、元興寺とともに全体で一つの文化遺産を形成しているとされています。

唐招提寺は南都六宗のうちの一つである律宗の大本山です。南都(なんと)という言い方は京都の南に位置するために平安時代以降に南都と称されるようになりましたが、もちろん奈良 平城京が都であった奈良時代にはこういう言い方はありません。六宗というのは律宗をはじめ、法相宗、華厳宗、倶舎宗、三論宗、成実宗を指します。いずれも奈良時代に奈良のお寺で発祥している宗派です。

金堂のピロティ部分。

律宗(りっしゅう)のお寺は他に京都の壬生寺などがあります。法相宗(ほっそうしゅう)のお寺には興福寺、薬師寺があります。華厳宗(けごんしゅう)のお寺は東大寺です。あとの倶舎宗(くしゃしゅう)、三論宗(さんろんしゅう)、成実宗(じょうじつしゅう)については現在ではその宗派のお寺は存在していません。

この景色は1200年前と変わっていないかも

唐招提寺の境内のお堂のうち金堂と講堂などは奈良時代に建立されたものがそのまま建っています。風雨にさらされながら木造の建築が1200年の歴史を耐え抜いてきた事に驚きと感動を隠し得ません。

開山の鑑真和上

唐招提寺は唐からやってきた鑑真(がんじん)和上(わじょう)が759年に創建したお寺で、今から1260年前のことになります。当時の聖武天皇からの熱望に応えて厳しい航海に5度も失敗し盲目になりながらも遂に6度目の航海でここ日本に来ることに成功しました。

和上の戒律では仏教を学びたいというものがいたら最大限の対応をするという内容があり、日本からの使者2人が来日の要請のために唐まで来たと言うことに対しても、これに応えなければ自分の戒律を犯すことになるため命をかけてでも日本を目指したのです。

戒壇入り口の門。

当時は僧侶なるための正式な条件や儀礼などがなく、質の問題があり聖武天皇が戒壇の設置を希望していたというのが発端です。鑑真和上は753年の来日当初は東大寺に戒壇をつくり、聖武天皇の要請に応えるかたちで授戒を行う任務につきました。6年後に戒律の専修道場をつくりますが、これが後に唐招提寺となる始まりです。

境内の西端にある現在の戒壇。

戒壇

戒壇は、僧侶になるために修行し認められたものが受戒を受けるための場所です。唐招提寺には境内の西の端の方に鑑真和上が作った戒壇がありますが、現在では石の遺跡のような状況です。ただし現在でも僧侶の授戒の儀式に使用されています。創建当時にはもちろん建物があり、途中失われて幾度かの再建があったようですが現在では建物はありません。現在残されている戒壇は下部の3段の石段が鎌倉時代のもので、その上の塔のようなものは昭和の時代に建造されたものです。こちらは手前の門から覗くことはできますが、入場することはできません。

鑑真和上の御廟 入り口の門。

鑑真和上御廟

境内の東の奥の方にひっそりと鑑真和上の御廟があります。ここは一般の参拝者も入ることができます。未舗装の道に、ちょっと驚くほど古く半壊したような土塀があり、これに付属する小さな屋根付きの門がその入り口です。

鑑真和上御廟。門を入ると両側に青々とした苔が広がる長いアプローチが続く。

門を入ると、ちょっと不思議なくらい一面の苔の庭園が広がっています。どことなく発光しているようにさえ感じる、絨毯を敷いたかのような突然の苔庭です。ここに来るまではどちらかというと砂利と木立ちしか目に入っていなかったので乾燥したエリアと思っていたため、ちょっと不思議だと感じたのです。ここを超えると池があり、橋の向こうに御廟があります。

御廟の直前には池がある。

唐招提寺へ

唐招提寺へは近鉄橿原線の西ノ京駅から徒歩で10分ほどです。西ノ京駅は降りてすぐのところに薬師寺もあるので併せてのご参拝も良いかと思います。駅からのどかな道を歩いて来て突き当たりを右に曲がりすぐのところに、道路に面して古式ゆかしい門が見えます。

唐招提寺 南大門

南大門

天平時代の様式で昭和の時代に再建された門になります。大きいお寺ではよくある形式の「五間三戸」の門といい、正面の列柱によって空間が五つに区切られて、戸が三ヶ所ある形式です。

南大門

この門に拝観受付が併設されており、ここで拝観料1,000円を支払って入場します。拝観時間は8時30分から17時までです。

左が南大門。正面には土産店。

金堂(国宝)

南大門をくぐり、天平の時代そのままと言われる砂利敷きの参道の正面に、木立の間から道幅分だけが見えているお堂があります。これが国宝の金堂(こんどう)です。

南大門をくぐって参道の正面に金堂がある

奈良時代に建立されて以来、一度も火災に遭っておらず、創建当時のままの建物です。正面幅約28m、奥行き約14m、寄棟造本瓦葺。お堂の前面にピロティ空間がありそこを列柱で支えています。この列柱、正面の中央は間隔が4.7mありますが端の方の間隔は3.3mと、端に行くほど狭くなっています。これは視覚的に金堂を大きく見せる効果を狙ったのと、構造上の強度向上のためだと言われています。

金堂の屋根には鴟尾がある。

屋根の上部左右に鴟尾(しび)と呼ばれるシャチホコのようなものが据えられています。これは雷や火災から建物を守る意味で、魚の尾びれを模して作られているものです。

金堂のピロティ部分。法隆寺のようなエンタシスにはなっていない。

ひさしの下で上を見上げると、「三手先」(みてさき)と呼ばれる組み物で構成された軒下が見えます。これは、長く突き出たひさしを支えるために、広い部分を支えた梁のような材で荷重を順に下の組み物に伝えて柱に荷重を持たせる工法です。特に唐招提寺だけでなく、多くのお寺の塔やお堂で見ることができます。

金堂の軒裏

金堂のご本尊は国宝『盧舎那仏』坐像です。そして本尊の向かって左に千手観音立像が、向かって右に薬師如来立像がおられます。この両脇の二尊ですが、脇侍というより三体が本尊のような存在感で並ばれています。圧倒的な大きさで、凄いと言葉が無意識に出てきます。

金堂御本尊 盧舎那仏坐像(国宝)

盧舎那仏(るしゃなぶつ)といえば東大寺の大仏様と同じ仏様ですが、他の仏様のように如来とか菩薩と付かないのが珍しく感じますが、如来同様だそうです。こちらの盧舎那仏坐像ですが木像ではなく、脱活乾漆(だっかつかんしつ)技法という、粘土で大まかな形を作った上に麻布や和紙を貼り重ねて形を作り、漆と木粉を混ぜたものを粘土細工のように成形していく技法で製作されています。木で作られておらず、中の粘土も取り外すため軽量に仕上がるので、他のお寺での例ですが火災などの際に避難が容易であったなどの利点もあるようです。

仏像については写真撮影が許されていないので唐招提寺HPで詳細のご確認を頂きたいです。

千手観音菩薩立像(国宝)

像の高さが5m以上ある非常に大きな観音様です。こちらの千手観音像ですが、俗な言い方になりますが本当に「手が千本ある」像です。千手観音の千という数字は非常にたくさんの状況を表したものであり、省略して42本の手で表された像が多いです。こちらのような千本の手を持つ観音像は非常に希少な像であると言えます。現在では幾つかの手が失われて953本となっています。本尊の盧舎那仏坐像と少し異なり、こちらは木心乾漆技法で作られています。これは木を彫って大まかな形を作り、表層は脱活と同じく漆と木屑を混ぜた練り物で成形していきます。脱活よりも木の芯があるため重量は重い仕上がりです。

拝見するととにかく手の数に驚きます。千本の手が胴体の中心から円形状に広がっているため、まるで羽根を広げているかのように見えます。

薬師如来立像(国宝)

こちらの薬師如来立像は他の2体の仏像とは製作年代が異なるようです。盧舎那仏坐像と千手観音立像は奈良時代の作ですが、こちらは時代が下った平安時代の作となるようです。他の2体と比べると、多少小ぶりな像であることからも、他のお堂から移されてきたと言われています。

こちらは千手観音立像と同じく木心乾漆技法で作られています。印象的なのは光背の形状です。あまり他では見られない、円と楕円の組み合わせで珍しい形状です。

金堂

講堂(国宝)

金堂の真後ろにあるお堂が講堂です。この寺の道場としての機能をこのお堂が担っていました。以前は内部に入れたのですが現在は内部に入っての見学はできなくなっています。金堂と同じく奈良時代の建物ですが、こちらは平城宮の建物を移築してきたものであり、平城京の建物を現在でも見ることができる唯一の存在です。ただし当初は切妻屋根であったものを鎌倉時代に入母屋造に改築してあるようです。

講堂の本尊は重要文化財の弥勒如来(みろくにょらい)坐像です。鎌倉時代の木像で、一木作りではなく寄木造で作られています。奈良時代のお堂の本尊が鎌倉時代の作ということから、当初のご本尊はいずれかの時代に失われたということでしょうか。

弥勒仏は本来は菩薩(弥勒菩薩)ですが、56億7000万年後に如来となってこの世に現れる仏であり、こちら唐招提寺の弥勒如来坐像は如来となって現れた時の像です。

講堂

鐘楼

講堂に向かって左側に鐘楼があります。この寺にしては比較的こじんまりとした感じがしますが、六脚のしっかりとした鐘楼となっています。

唐招提寺の梵鐘。

鼓楼(国宝)

金堂を正面にして右側から回ると細長い建物の礼堂と金堂の間に建つのが鼓楼(ころう)です。鎌倉時代の1240年に建立された2階建ての建物で国宝です。字の如く、時報として鳴らす太鼓を設置する役割の建物ですが、鑑真が唐から持参した仏舎利を収めたため舎利殿とも呼ばれています。

鼓楼

礼堂と東室(重要文化財)

講堂の右側に建つ細長い建物が礼堂(らいどう)と東室(ひがしむろ)です。建物の機能としては別々の二つの建物ですが、屋根はつながっておりちょうど中間当たりで通り抜けられるような空間で切れています。

礼堂(らいどう)

礼堂は非公開の釈迦如来立像(重要文化財)を祀るお堂で、鎌倉時代初頭のこの寺の衰退期に脱却を目指して建立されました。この釈迦如来立像は、嵯峨の釈迦堂として知られる清凉寺の釈迦如来立像を模して作られています。綱模様のような髪型が特徴的な穏やかな表情の像です。毎年10月の特別拝観の時には是非とも拝見したいものです。

左側が東室、右側が礼堂。中央の通り抜け空間は馬道と呼ばれる。

東室は僧侶の居住空間として使用されていた建物です。礼堂とは馬道(めどう)と呼ばれる通り抜け空間を挟んで、同じ屋根でつながっています。

唐招提寺拝観パンフレットより

経蔵と宝蔵(国宝)

見るからに、古代の建物と言った感のする、経蔵と宝蔵です。正倉院と同様の校倉造りの高床式倉庫で、右側が経蔵、左側が宝蔵となり、経蔵はここに唐招提寺ができる前から建っていたものを流用しています。

こんな古代建築が残っている事に驚き。

境内の奥

お堂の建っているエリアの奥に進むと自然のままの公園のような雰囲気になります。最奥には鑑真和上の生き写しの像が安置されている御影堂がありますが、通常は非公開で入場できません。

醍醐の井戸の周りに、かつてのお堂の基礎石が無造作に置かれています。石を丁寧に削って伽藍を建設する時に用いられ、その建物が無くなりここに置かれているのは、奈良時代から1200年間という、気が遠くなるような長い歴史を積み重ねてきたこの寺にとってはほんの一瞬の事であり、またいずれ別のお堂を作る時には用いられるのでしょう。

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