京都観光あれこれ《京都大仏》

京都には大仏が現在は無いのは周知の当然でありますが、かつては存在したと言う事をご存知でしょうか。豊臣秀吉が発願し秀頼が引き継いだ事業でしたが、東大寺や鎌倉の大仏のように国の安寧を祈願するという製作信念で造られたと言うより、豊臣の威勢を張る目的という点が大きかったのか、大仏様に快く思われなかったかどうかはわかりませんが、現存しません。

完成しては地震や火災によって倒壊し、木材で作っていたものを金銅製に替えたりして複数回の製作の後、江戸時代後期の4代目は昭和時代まで存在していましたが不審火による火災で焼失しており現存しません。最後の4代目の写真のいくつかは残っていますが、見た目的にはなんとなく仏像らしさの無い、造形的には美しさの感じられない像だと感じます。

京都国立博物館

その大仏があった場所ですが、京阪電車を七条駅で降りて京都国立博物館方面に歩き出して博物館手前の交差点を左折して豊国神社、方広寺方向へ向かいます。

京都大仏は方広寺にあったのですが、当時は京都国立博物館あたりも境内であったためその時の石垣がそのままの状況で残っています。

これら石垣をここに持ってきてから更に積み上げるといった一連の作業も、豊臣の御家人が奉公させられていたのでしょうが、こう言った時は受け手としてはどう感じていたのだろうかと思ってなりません。いったい何で自分たちが!と言う思いではなかったのかと。クレーンもトラックも無い時代にこの巨大な石を扱うなど、気まぐれで大仏殿を作る太閤の気が知れないと。

大仏殿があった位置は最近の調査によって豊国神社の裏手の、現在公園になっている位置であった事がわかりました。もちろん豊国神社は秀吉が死んだ後に出来た神社ですから大仏計画当時は無かったので、現在の神社本殿のあたりまで大仏殿の基壇が広がっていました。

豊国神社裏手の公園には大仏の台座があった位置が分かる様にベンチで位置を示してある。

大仏殿の規模は東大寺のそれよりも大きく、90m×55mと言う規模です。大仏の高さも東大寺大仏よりも大きい18mでした。この規模は圧倒的です。

昭和初期の古い地図を見るとまだ大仏があるような表記が見られます。

豊国神社本殿を裏手の公園から見るとこの様な感じ。
大仏殿跡地に設置されている案内板①
①の右上部分拡大。
① の右下部分拡大
大仏殿跡地に設置されている案内板②
②の左下部分拡大。

大仏殿跡地の公園にはこれら案内説明板が設置されていて、現地を見ながら当時の状況が想像できるようになっています。歴史好きの方、遺構好きな方は必見です。ぜひ。

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