鎌倉散歩 〜妙本寺

鎌倉の地形は、東西と北の三方を山に囲まれ南は相模湾に面しており、この天然の要害ともなりうる土地が幕府開設に適していたという説もあります。三方の山も特徴的な形状をしており、形状的に手のひらを広げたときの指と指の間の様に谷が広く深く入り込んでいます。この入り込んだ麓の谷の形状をここ鎌倉では谷戸(やと)と呼んでいます。現在鎌倉に現存している寺はこの谷戸に深く伽藍を構えている例が多く、ここ妙本寺はその好例です。

妙本寺が建つこの谷戸は比企ヶ谷(ひきがやつ)と言い、鎌倉幕府の御家人 比企能員(ひきよしかず)の館があった場所です。幕府内での権力バランスに危機を感じた執権北条氏により一族もろとも討たれてしまった悲劇の場所であり、その名残で比企ヶ谷と名付けられ跡地に比企一族の菩提を弔うために妙本寺が建てられました。

また鎌倉特有の言い回しが出ましたが、谷と書いて「やつ」と読みます。他に、亀ヶ谷(かめがやつ)、扇ヶ谷(おうぎがやつ)などいくつもあります。

妙本寺はいつ訪れてもたいていはシーンと静まり返った静寂が一帯を包み込んでおり、たとえゴールデンウィークの連休で小町通りや若宮大路がごった返していてもそれは変わりません。それがしかも鎌倉駅から10分も歩けばたどり着ける位置にあります。

駅から若宮大路を越えて、大巧寺の境内を季節の花を眺めながら良く手入れされた庭園の遊歩道を通り抜けると小町大路に出ます。この小町大路ですが、駅からすぐの一番賑やかな商店街の「小町通り」と名称が似ているのでお間違いの無きよう。小町大路を進み本覚寺のあたりのクランク状に曲がる橋を渡ると、日蓮宗独特の「南無妙法蓮華経」の文字の端がシュシュッと跳ね出したような特徴的な書き方の石塔が建っているのでここを曲がります。

独特で特徴的な書き方の南無妙法蓮華経の石碑。

すると妙本寺の総門がすぐに見えて来るので更に進みますが、総門をくぐったのに一般の民家の住宅地が数十メートル続くため、どこからが境内なのかと思ってしまいます。ところが住宅がなくなった途端、急に原生林のような深い木々の緑に圧倒されるような、ひんやりとした空気を感じる森の中に入り込みます。

住宅地から一転、急に原生林のような森になる。

ほどなく歩いていくとシダ類が生い茂る斜面に石段が見えてきます。ここを登ると、それまではただの森にしか思えなかった景色が一変して、二天門から祖師堂までの直線的な平面の境内が現れてここがお寺である事をわからせてくれます。この二天門ですが、平成の修復作業でベンガラ色に塗られ、彫刻部分は極彩色の鮮やかさが蘇っています。酸化鉄を主成分とした錆のようなこのベンガラ色の落ち着いた色合いはとてもこのお寺に合っていて、朱塗りなどの明るめの色よりも良い選択だと思います。

通常よくある山門は仁王門と言って仁王像が睨みを効かせている門が多いですが、こちらは二天門と言って四天王のうちの持国天と多聞天をお祀りしているためこの名があります。

二天門。撮影用にもみじを用意してくれたかのような、いい感じの風景。

鎌倉の寺院は街の規模に合わせるかのように小規模寺院が多いですが、こちらは広々とした境内を持ち、伽藍の配置には余裕を感じます。なだらかに広がった軒を優美に広げた祖師堂のその脇に建つ比企一族の墓碑の風化具合からその長い歴史を感じることができます。妙本寺は鎌倉時代1260年に日蓮の開山、比企能本の開基で創建され、現在まで800年近い時間の中をここ比企ヶ谷で静かに佇んできました。現在の祖師堂は江戸後期の再建になるお堂で、日蓮聖人像を祀り、寺務所隣の本堂にご本尊の釈迦如来像が祀られています。

祖師堂の軒下。梁の彫刻が素晴らしいです。

鎌倉の若宮大路の東側にある寺院は日蓮宗のお寺が多いです。こちら妙本寺のほか安国論寺、妙法寺、本覚寺、常栄寺など。日蓮が鎌倉入りして最初に松葉ヶ谷(まつばがやつ)に小さな草庵を結んだのがこのあたりであったためです。日蓮が道行く人々に説法を説いた辻説法の場所もこの近く小町大路沿いに旧跡として残っています。

約170年前の建立になる祖師堂。

御朱印は事務所にて頂く事ができます。日蓮宗のお寺ですと御朱印ではなく御首題と言って、他の宗派の御朱印帳には書いて頂けないケースや、日蓮宗信徒だけしか頂けないケースなどさまざまですが、こちらは御朱印帳に御朱印を書いていただけます。引き戸をガラガラっと開けてお願いしてみてください。

お参りするにしても写真撮影をするにしても、ここに来るたびにこの静寂の中、ここで起こった歴史を思いながら、比企一族や源頼家の息子一幡の墓に手を合わさずにはいられない気持ちになります。新緑の時期に是非訪れてみてください。

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