
京都の街のイメージのひとつとして、霊界、あの世、極楽浄土と地獄などといった、仏教の教えと結びついた考え方や風習が文化としての街の形成に表れているというのがあります。京都を紹介するテレビや観光案内では、テーマの一つとしてよく取り上げられます。そう言った特集の際には必ず登場するのが東山にある六道珍皇寺です。こちら「あの世とこの世の境目」として、昔から冥界の入り口にあるとされてきました。

ここ六道珍皇寺は現在ではご近所の建仁寺の塔頭寺院であり、臨済宗建仁寺派の寺院となっています。しかし創建の御由緒を見ると弘法大師空海が関わったという説もあり、平安時代の初期ころに真言宗のお寺として創建されたようです。なるほど、そういう経緯があるということを聞くと、ちょっとだけ納得の感じがします。それは実際にこのお寺を訪れてみるとわかるのですが、禅寺という感じがしないからです。

寺の門を入って境内を進むと右手に小さなお堂があります。拝観可能な日もあるのですが、普段は扉が閉ざされているので格子戸の隙間から中を伺うと、怒りの形相でこちらを睨みつけている閻魔大王と目が合うこととなります。閻魔大王像を安置するお寺はそう多くはないのでちょっと驚きます。そして大王の隣に凛とした表情で直立する小野篁(おののたかむら)像も見ることができます。小野篁は平安時代の役人ですが、歌人 詩人 学者としての側面もあるマルチな才能の持ち主であったようです。この人がなぜここに祀られているのか、それはお隣に鎮座される閻魔大王との関係が深いということがあるのです。
小野篁は宮廷の役人として働く反面、閻魔大王の使いの者としての側面もあったとのこと。この寺の境内奥にある井戸を通じて冥界と現世を行ったり来たり。亡くなった人の行き先を決める裁きを手伝っていたようです。こんな関係もあって現在このお寺に並んでお祀りされているのです。そんな伝説の井戸がこの寺にあるのも、この寺があの世への入口である証拠でしょう。
閻魔大王の鎮座されるお堂の隣にはちょっと珍しい鐘があります。迎鐘という扁額がかかっていますが、お盆の時期にこの鐘をつくと冥土に居られるご先祖様のところまで響き渡って、この音を頼りにこの世にお戻りになるという、そんな言い伝えのある鐘です。またお寺にある梵鐘は普通は壁のない柱組みの屋根から、撞き棒(橦木)と共に吊り下げられているのが多いですが、こちらの梵鐘は壁に覆われていて実物が見られないようになっています。壁の穴から出ている綱を引っ張ると鐘がなるという具合です。

六道珍皇寺のご本尊は、平安時代作の重要文化財指定の薬師如来です。御本尊へのお参りを済ませたら、本堂脇の格子戸から中庭を覗き込んで見ましょう。特別公開の時以外は入れないので遠目から見るしかないのですが、中庭の奥の脇の方に井戸があるのが確認できます。この井戸が小野篁が冥土通いに使用していた井戸です。とにかくテレビの取材の多いお寺ですので、映像で見る機会は多いです。もちろんこの井戸も映るのでその機会には見ることはできますが見た目は全く普通の井戸です、、、。

さほど大きいお寺ではないので、祇園あたりに出かけた際にはちょっと立ち寄られてみてはいかがでしょうか。できれば、夏が似合うお寺なので夏がいいですが。