
《祇園祭とは》
京都中心部を東西に走る、京都一のメインストリート四条通の東の端に鎮座している「八坂神社」は、ここに都が遷都してくる平安時代より前からこの地にある古い神社です。明治になる以前までは「祇園社」もしくは「祇園感神院」という名称で、神社と寺が混ざった神仏習合の「寺」であり、仏堂もありましたし仏像もありました。明治新政府の「神仏分離令」によって境内にあった仏教のお堂などはすべて解体、仏像もすべて排除されました。現在では完全に神社だけの状態となっています。
かつて祇園感神院と言う名称であった名残で京都の人は現在でも八坂神社の事を「祇園さん」と呼んでいます。そしてこの祇園感神院の祭礼が祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)であり、町中に広まった疫病の鎮静を祈祷するために行われたのが発祥となっています。「祇園祭」と称するようになったのは明治以降からです。

2022年はコロナ明けで3年ぶりに祇園祭が行われ、宵山も山鉾巡行も四条通りあたりはまともに歩くことができないほどの混雑ぶりでした。報道発表では、前祭(さきまつり)の宵山(よいやま)は30万人の人出、山鉾巡行は17万人、後祭も含めて80万人が3年ぶりの祇園祭を楽しみました。2023年は3連休と重なったこともあり、前祭だけでも82万人の人出で混み合い、特に広い会場などがあるわけでは無いので沿道は大変な混雑で行きたい方向に進むことがほぼ不可能な状況でした。2024年は鶏鉾の車輪が壊れて後続の山鉾が鶏鉾を追い抜いて進んだり、鷹山の屋根が落下したりと言ったアクシデントがあり、滞りなく祭を執り行う事の大変さを痛感した年と言えます。また粽の購入者が増加して粽不足が発生したことも話題となりました。

《祇園祭の成り立ち》
平安時代に起源を持つ祇園祭ですが、かつては祇園御霊会と呼ばれていました。現在のような豪華絢爛な山鉾が登場するのは南北朝時代以降です。もともとは当時の日本の国数66と同じだけの矛(ほこ)を立て牛頭(ごず)天王を祀って悪霊退散を祈祷する祭で、神泉苑で行われていました。神泉苑は現在は二条城の南側にありますが当時は二条城は無く、この一帯が神泉苑でした。天変地異や疫病の流行などは、この世に恨みを残して死んでいった人たちの怨霊の仕業だと考えられていたため、悪霊払いで国の安寧を祈念したのです。
当時の「矛」は現在の山鉾の鉾とは異なり、長い柄の先に剣先を付けた槍のようなものです。

宵山の日に各山鉾町の会所(各山鉾の拠点)で子供たちがわらべ歌を歌いながら粽(ちまき)を売っていますが、この粽には「蘇民将来子孫者也」(私は蘇民将来の子孫ですという意味)と書かれています。
祇園御霊会で神として祀られている牛頭天王が、ある時旅に出た途中で蘇民将来(そみんしょうらい)の家の前を通りかかった際に一晩の宿を快く提供してもてなしてくれたことに感謝し、蘇民将来の子孫には災いや疫病が避けられることを約束した、という故事に基づいています。

牛頭天王は「祇園精舎」の守り神です。祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)とは、仏教の祖であるお釈迦様の誕生の地(インド)にできたお寺のことです。(精舎とはお寺のことです。)
この牛頭天王を祀る寺院が「祇園感神院」と呼ばれたお寺でした。これは現在の八坂神社です。明治以前は八坂神社は祇園社というお寺でした。
明治政府の神仏分離令は寺を神社に変えただけでなく、仏教色の強い牛頭天王は「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」と名前を変えられて祀られることとなりました。
現在の八坂神社は素戔嗚尊を主祭神として祀る神社となり、すっかり普通に神社となっています。

祇園祭は、牛頭天王に京都の町の疫病退散を行っていただく事を主目的とする祭であり、牛頭天王がお出ましになる前に露払い、お清めとして各山鉾が町を巡行するのが山鉾巡行になります。
お出ましになる前の露払いが「前祭(さきまつり)」、八坂神社へお帰りになる際の露払いが「後祭(あとまつり)」となります。
前祭では23基が、後祭では11基が巡行します。

当時は疫病や天災などの発生原因は祟りや怨念、疫神の仕業などと考えられていて、それらを封じ込めるために行われたのが祇園御霊会です。煌びやかな山鉾と楽しげな祇園囃子で町中を練り歩き、疫神を呼び集めて一気に封じ込めるという段取りです。そのため山鉾巡行が終わって各山鉾町に戻ってくるとその日のうちにすぐに山鉾は解体されます。

《山鉾巡航がメインやあらしまへん? 神輿渡御》
祇園祭は7月1日に各山鉾町で行われる神事始め「吉符入り」(きっぷいり)で始まり、準備を含めて小さな行事、大きな行事が続き、7月の1ヶ月をかけて行われます。やはり疫病の流行は夏のこの時期に多かったと言うところからこの時期に行われるようです。
一般的な見方としては山鉾巡行がメインイベントのように扱われていますが、本当のメインイベント(神事)は八坂神社の神様が御神輿(おみこし)に乗って氏子の町内を周り厄払いをしながら御旅所(おたびしょ)と神社の往復をする「神幸祭」と「還幸祭」です。「祇園祭に御神輿(おみこし)なんて出るっけ?」と言うのが大方の観光客の意見では無いでしょうか。

祇園祭はこの「神幸祭」と「還幸祭」をメインとし、神様が通る道筋をお清めする意味で山鉾巡行を行うのです。我々一般的な観光客は宵山を見てホテルに泊まり、翌日に山鉾巡行を見学して帰ると言うのが一般的であるため、おみこしの目撃にはタイミングが合わないのかもしれません。しかしながらそうは言っても、やはり山鉾巡行が祭りのハイライトには違いありません。
全部で25学区に分かれている氏子組織の中でも重要な役割を担うのが宮本組です。八坂神社のお膝元、祇園町の氏子でお宮のそば(八坂神社も含む)というところからこの名があります。各氏子は「清々講社」という組織を作り明治以前より祭に奉仕しており、宮本組は清々講社の筆頭となります。

《宵山》
山鉾巡行の前々々夜、前々夜、前夜と3日間にわたって行われる前夜祭が「宵山」です。それぞれ宵々々山(よいよいよいやま)、宵々山(よいよいやま)、宵山(よいやま)と呼ばれています。各山鉾町の会所前に山や鉾を立てて、囃し方(はやしかた)(祇園囃子の演奏者)による祇園囃子がコンチキチン、コンチキチンと聞こえる中を懸装品(けそうひん)の展示を見て「粽(ちまき)」や手ぬぐいを買って、会所を渡り歩くという、祭り気分の盛り上がりを感じることができるイベントです。特に京都人にとっては、山鉾巡行の前夜祭である宵山はまるでクリスマスイブのような扱いだそうです。

粽と言っても食べ物ではありません。祇園祭の宵山でのみ販売されている厄除けのお守りです。それぞれの山鉾でご利益や見た目が異なるためいくつも欲しくなってしまいます。宵山で売っているちまきは京都近郊の農家で作ってもらっているなど、祇園祭は多くの人の協力で成り立っています。

それぞれの山鉾町で宵山での演出方法は異なりますが、どこもお祭り気分が盛り上がる独特の雰囲気があります。鉾の会所では囃子方が祇園囃子を演奏し続けています。会所に入る事ができる所では、見たこと無いような骨董品から重要文化財指定の豪華絢爛なヨーロッパのタペストリーなどの懸装品を丁寧に展示しています。

どの山鉾にも御神体が祀られており、宵山では会所でお参りすることができます。御神体はその山や鉾の由緒にまつわる神や人物が祀られていて、中には鯉の大きな木像と言ったものもあります(鯉山)。

宵山では駒形提灯が吊るされます。いくつもの提灯で全体が駒の形に見えるように吊るすところからこの名があります。宵山期間は昼間もやっていますが、やはり提灯に火が灯る夕刻以降が祭り気分も盛り上がるというものです。

《山鉾町》
祇園祭は八坂神社の祭礼なので、八坂神社の氏子の居住範囲が祭りのエリアとなります。なかでも山鉾町と呼ばれる山や鉾を保有するのは四条通の近辺を中心とした各町内となっています。北は二条通、南は高辻通あたり、そしてすべて堀川通より東側です。この町の住民がそれぞれその町独特の山や鉾を所有して祇園祭を構成し守り伝えてきたのです。しかしながらそうは言っても、最近では山鉾町の住人の減少で維持継承が難しくなり住人以外の協力が欠かせない状況です。

《山、鉾とは》
山や鉾は他のお祭りで言うところの山車(だし)です。時代によってその台数に変化がありますが、応仁の乱による影響後の33年間の中断ののち1500年に前祭26基、後祭10基の山鉾が巡行して復活を遂げました。ちょうどこの時からくじ取りも始まったようです。そして戦後(太平洋戦争)は昭和18年から4年間の中断ののち復活。現在は前祭23基、後祭11基、合わせて34基の山鉾が巡行しています。
◆鉾について
優美で雅(みやび)な古式ゆかしいデザインで迫力ある大きさの鉾は祇園祭での一番の見どころとなります。特徴としては人の背丈ほどもある大きな車輪が4つ付き、囃子方が乗る本体の上部には破風の付いた屋根を持ち、その上には全長25メートルにもなる真木(しんぎ)と呼ばれる細長い棒状の柱がそびえます。真木の先端には鉾頭が飾られています。山鉾巡行の際には40〜50人の曳手(ひきて)によってゆっくりと曳かれていきます。

鉾は完成形だと煌びやかな懸装品で飾られているため骨組みは見えませんが、太い木材を釘は使わずに縄でしばって組んでいます。この技法を「縄がらみ」と言います。手伝方(てつだいかた)による組み上げ作業中にはトントンと聞こえるため釘を打っているように聞こえますが、木槌で縄を締めている音であったりします。骨組みを縄で締め上げて固定するだけでなく、その縄の縛り方も見た目重視で芸術的です。交差する部材を締め上げて蝶のように見せたり結び目をいくつか連ねて海老のようにしたり。しかし無骨ながら芸術的な骨組みと縄絡みの技法も、懸装品によって巡航時は全く見えなくなってしまいます。本体部分が組み上がると25mほどある真木を立てて屋根を取り付けます。これは大工方(だいくかた)の仕事です。車輪を付けるのは車方(くるまがた)と言うように、鉾の組み立ては分業制で成り立っています。

鉾の中でも例外的な特徴を持つのが船鉾と大船鉾です。文字通り大きな船の形をしています。大きな車輪が付いた船と言う構成が興味深いです。船鉾は前祭の一番最後に巡行し、大船鉾は後祭の一番最後に巡行します。大船鉾は1864年の蛤御門の変で焼けて以来「休み鉾」でしたが、平成26年に150年ぶりに復活を遂げています。

◆山について
例外はありますが台座の上部に御神体人形と真松(しんまつ)が乗っています。車輪は持たず、本体上部に屋根や真木はなく、鉾に比べて小ぶりで上に人が乗ることはありません。15〜25人ほどの舁手(かきて)によって担がれていきますが、実際には小さな車輪が隠れており、転がして巡行を進みます。こう言った山を舁山(かきやま)と呼びます。


これに対して山であるのに鉾と同じ形の大きな本体と大きな車輪を持つものもあります。岩戸山、北観音山、南観音山、鷹山がそうですがこれらは区別して曳山(ひきやま)と言います。鉾ではなく「山」ですので真木ではなく山の象徴の真松を乗せています。


◆傘鉾について
傘鉾という山車のような形状のものは無く傘だけのものがあり、綾傘鉾と四条傘鉾の2つがあります。平安時代から一番変化が少ないのが傘鉾であり、傘鉾の巡行は一番長い隊列となり棒振踊りと言う見せ場があるのも特徴的です。



《山鉾巡行》
神幸祭(しんこうさい)、還幸祭(かんこうさい)で神様が乗る御神輿が通る道のお清めとして行われるのが山鉾巡行ですので、神幸祭で御旅所へ向かう時のお清めが前祭(さきまつり)、還幸祭で神社に帰る時のお清めが後祭(あとまつり)となります。よって山鉾巡行は前祭と後祭に分かれているのです。
ちなみに平安後期あたりに御旅所は2か所作られましたが、秀吉によって現在の四条寺町に移されて以降は1か所となっています。
鉾を組み立てた時も分業制でしたが、巡行の際にもこの分業制で進めます。組み立てを行った手伝方が進行の音頭取りとして、エンヤラヤーと掛け声を掛けて鉾を動かします。通常は2名の音頭取りが、辻回しの際には4名となってヨーイトセと所作を決めるのも見どころです。車方は進行方向の調整を常に行っています。前も見ずに車輪だけを見て「かぶらてこ」で常に車輪を微調整して鉾が進むべき方向を補正しています。大工方は屋根の上に4名乗って障害物の確認を行っています。特に新町通では電柱や建物の屋根スレスレで通って行くので最も危険な役回りです。
《くじ取り式》
昔は巡行の順番を巡って争いが起きたなどと言うこともあったようですが、現在では1509年より始まった、7月2日に京都市議会の議場で行われる「くじ取り式」にて巡行の順番をくじで決めています。34基(前祭)、22基(後祭)の山鉾の中では「くじ取らず」と言って、順番が決まっているものがいくつかあります。前祭で言えば先頭の長刀鉾、最後の船鉾などがくじ取らずです。
《くじ取らずの山鉾》
- □前祭(7月17日)
- ・長刀鉾(一番)
- ・函谷鉾 (五番)
- ・放下鉾 (二十一番)
- ・岩戸山 (二十二番)
- ・船鉾 (二十三番)
- □後祭(7月24日)
- ・橋弁慶山 (一番)
- ・北観音山 (二番)
- ・南観音山 (六番)(北観音山と南観音山は1年毎に順番を入れ替える)
- ・大船鉾 (十一番)

《懸装品 、動く美術館》
いずれの山鉾も赤を基調とした色使いで、質素な色合いの京都の街を練り歩くと華やかさが際立ちます。この華やかさは各山鉾を飾る懸装品(けそうひん)に依るところであり、歴史的な価値のある芸術品も多く、各山鉾保存会が丁寧に受け継いできたものです。海外のタペストリーや絨毯などが多く、キリスト教絵画を基にした絵柄が多いのもちょっと不思議な感じがします。中には重要文化財指定のものもあり、こう言った事から祇園祭は動く美術館などとも言われています。

彫刻があれば左甚五郎の作品、絵があれば円山応挙の作品と、当代一流の作者に製作を依頼しています。とにかくわが町の鉾や山こそ一番と言う思いで、山鉾町に住む豪商たちが援助して目立つもの、豪華なものをと競ってきた結果です。鉾がここまで巨大で煌びやかなものになったのも、こういった経緯だとすると納得がいきます。ひょっとして、山を所有しているところも、鉾みたいにしたいという思いから曳山の誕生に繋がったのではないでしょうか。
《前祭 巡行路》
7月17日の9時、四条通りは山鉾巡行の開始を待つ群衆で埋め尽くされています。

四条通に整列した山鉾の先頭は「くじ取らず」の長刀鉾で、八坂神社に向かって「渡り」のゆったりとした奉納の祇園囃子を厳かに奏でながらゆっくりと進みます。
四条堺町の交差点付近で「くじ改め」が行われます。これは、巡行順が引いたくじの順番通りとなっているかを確認する儀式です。各山鉾の正使役(せいしやく)が奉行役の京都市長に自分のくじを渡すのですが、その所作が雅で風流で非常に見応えがあります。長刀鉾などのくじ取らずはくじ改めではなく、挨拶を行います。
河原町通で最初の辻回しを行い北に進路を変えると、ここからは祇園囃子のテンポが異なります。河原町通に出たら心持ちテンポがアップする「戻り囃子」です。

河原町御池の交差点で2回目の辻回しを行う月鉾

広い御池通には通りの両側に有料の観覧席も設けられており、疲れ知らずで優雅に巡行を見学できます。ただし御池通はアーケードではないので直射日光が厳しいため、つば付きの帽子は絶対必須です。また歩道も広いので立ち見の見学も比較的楽です。無理して混んでいる四条通や河原町通で陣取るよりは最初から御池通で待っているのも妙案かと思います。
御池通は距離も長くじっくり楽しめますが、次の辻回しはちょっと見どころなので、巡行に連れられてじりじりと新町通の交差点まで行きたいです。角を曲がった先の新町通は道幅が一気に細くなり、山鉾は道幅ギリギリで通って行きます。

新町通は歩道も無く道幅が狭いので、山鉾巡行がごくごく間近を通ります。とにかく最も迫力を感じる一番の見学ポジションだと言えますが、不思議とそこまで見物人が多くないので最後にここで巡行見物の締めくくりとするのも悪くないです。

ここまで来ると巡行もあと少しで終わりです。新町通を出て四条通に戻ると、あとはそれぞれの会所に戻って行きます。会所に戻った山鉾はすぐに解体が始まります。
《後祭 巡航路》
後祭では前祭の巡行とは逆のルートとなります。各山鉾町から新町通経由で御池通に出て整列し巡行開始を待ちます。後祭の一番と二番はくじ取らずで橋弁慶山、北観音山の順で巡行します。今年から、北観音山と南観音山は1年毎に順序を入れ替えて巡航することになりました。巡航は御池通でくじ改めを行い河原町通の交差点で最初の辻回しを行います。巡行における作法としては前祭と変わることはありません。神様が町内の御旅所から八坂神社に戻るためのお清めとして山鉾を巡行させます。

後祭も狭い新町通から広い御池通に出るところは見応えがあります。特にビルの陰から大船鉾が出てくるシーンは圧巻です。また後祭の良いところは巡行前の御池通にての整列のシーンで全体が見やすい点です。
《変更された巡行路》
前祭も後祭もともに上記のような現在の巡行路は昭和に入ってから設定された道筋です。平安時代からのままずっと同じというのもなかなか難しいとは思いますが、少なくとも江戸時代あたりでは、前祭では四条通りから寺町で現在とは逆に南に曲がり、松原通りで曲がり西へ向かうコースでした。後祭では三条通りからスタートして寺町で南に曲がり、四条通りで曲がり西へ向かうコースであったようです。
町の都市化や交通事情の影響による変更であったようですが、この後さらに昭和41年には前祭と後祭が統合されて一度に行われるというような変更も加わりました。これは平成26年には後祭が復活して解消されています。
《辻回し》
鉾の車輪は操舵できないので曲がり角では鉾を横方向に滑らせて方向を変えてやる必要があります。10トンほどもある鉾を滑らせるのは大掛かりな事です。滑りやすくするために「ささら」と呼ばれる割り竹を敷き、水をまいて横方向に引っ張りますが、直角に向くまで三回に分けて行います。これを「辻回し」と言って、山鉾巡行の中でも迫力のある見せ場です。この大仕事を取り仕切るのは鉾の車輪を取り付けた車方(くるまかた)です。「よーいとせ!」の掛け声と共にこの大きな鉾がグッーっと動く様は大変な迫力です。

《鉾のコントロール》
鉾の車輪は角で辻回しを行う事でわかるように、操舵が効きません。進行のわずかな微調整は走りながら回る車輪を木製のてこ棒(かぶらてこ)の先端を車輪にかませて調整します。



祇園祭しめくくり
八坂神社の社紋は三つ巴と木瓜紋のふたつですが、このうち木瓜紋はキュウリの断面に似ているということから、京都の人は祇園祭の最中にはキュウリを食べないという風習があるとかないとか。
京都人にとって祇園祭は単なるお祭りにとどまらずに、ひとつの季節のように一年の中に組み込まれて特別な時間となっているようです。元々は朝廷主催の疫病退散を願う神事として行われてきた「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」がいつしかお祭りとしての要素も併せ持つようになってより広く民衆のものになっていきました。しかし、日本三大祭とまで言われるようになった祇園祭ですが、今でも実際には疫病退散を願う八坂神社と山鉾町の町民の祭そのものであり続けています。
