
四天王寺とは
四天王寺は今から1430年ほど前の西暦593年に聖徳太子によって創建されたお寺です。鎮護国家と衆生(しゅじょう)救済のために仏教を守護する四天王を安置して建立されました。

四天王とは、持国天、広目天、増長天、多聞天のことで、お寺ではよく須弥壇上ご本尊の周り四方にこの四天王が配されていることが多いです。特に多聞天は単独で祀られることもあり、その場合は毘沙門天と呼ばれます。

仏教には仏の階級といったら語弊がありますが、位別に各段階があり悟りを開いた「如来」を頂点に悟りを開くべく修行中の「菩薩」、衆生が苦しむ邪悪を焼き尽くす怒りの表情が特徴の「明王」、仏教の守護を受け持つ「天、もしくは天部」とに分かれています。四天王はこのうち「天」に分類されます。四天王寺の宗派は和宗ですが、こちらあまり聞きなれない宗派です。和宗の「和」は聖徳太子の有名な言葉に「和をもって尊しとなす」がありますが、その和から取っているとの事です。元々はこちらの創建は先述の通り1,430年前であり仏教に宗派などという分類が無い時代の出来事であるためどこの宗派などとはしていませんでした。平安時代になって天台宗となったようですがごく最近になって天台宗から抜けて宗派にとらわれないという趣旨で和宗としました。

四天王寺のご本尊は金堂に安置されている救世観音です。創建当時は四天王がご本尊でしたが、天台宗となった平安時代よりご本尊も救世観音に変わっています。

街中の立地ゆえ、境内の多くのお堂はこれまでに火災や天災、戦災などで焼失と再建を繰り返してきています。中心伽藍と呼ばれる回廊で囲まれた金堂と五重塔などの建物は全て昭和以降の再建で、コンクリート造りの現代的且つ頑丈な建築となっています。コンクリート造りだからと言って、仏教寺院としての価値やありがたさが変わることは無いです。

四天王寺へ
繁華街天王寺から谷町筋に沿って北の方向に徒歩で15分ほど歩くと四天王寺に到着します。この寺の正門は一番南方にある南大門ですが、大きな石造りの鳥居がある極楽門から入ることが多いでしょうか。

お寺に鳥居があるのも今となっては不釣り合いに感じますが、明治の神仏分離政策以前はごく普通の事でした。鳥居は神社特有のものではなく、神聖な領域への結界の意味で用いるものです。こちら1294年建立の重要文化財です。

極楽門をくぐると広場になっており、毎月21日のお大師さんの日(弘法大師の日)にはこの広場にたくさんの出店が広がる縁日が開催されます。まずはこの広場をそのまま直進して中心伽藍の拝観受付に進みます。

中心伽藍
中心伽藍は回廊で囲まれた中に南から、南大門、五重塔、金堂、講堂が一直線上に立ち並んだ特徴的な配置となっています。こういった伽藍配置は各お寺でばらばらではなくある程度の様式(パターン)に基づいて計画されます。ここ四天王寺の様式は「四天王寺式配置」として基準のひとつになっています。中心伽藍の建物は全て昭和以降のコンクリート造りによる再建です。意匠的には創建当時のものを再現しており、1,400年前の古代の雰囲気を感じ取ることができます。

金堂(こんどう)
この寺の本堂で、ご本尊の救世観音が居られるお堂です。現在のお堂は昭和36年に創建当初の意匠で再建された建物です。ご本尊の救世観音(くぜかんのん)ですが、法隆寺夢殿の本尊としてよく知られた存在かと思います。この時代の仏像らしく、体がスリムで手足も長く長身です。平安時代以降のリアリズムを感じる動きのある日本的な仏像とは印象がかなり異なります。

五重塔
こちらの五重塔もこれまでの長い歴史の中で幾度となく焼失と再建を繰り返してきました。前述の通り昭和時代の再建になるもので、金堂より2年早く昭和34年建立です。構造は鉄筋コンクリート造ですが、元々五重塔と言うのは釈迦の遺骨を祀り、卒塔婆としての心柱を保護するための覆いとしての建物ですので、その役目を果たしていれば良いわけです。よって、興味としてこのような場合の心柱と構造の取り合いを確認したいところではあります。
相輪を含めた高さ39.2m

四天王寺の境内
四天王寺の境内にはかなり多くのお堂が建ち並んでいます。中心伽藍の内部は整然として気品ある空間となっていますが、その外は庶民的なお寺といった趣きで親しみやすい雰囲気で満ちています。それぞれのお堂は、長い歴史の中でいろいろな信仰が加わってできた証でもあります。ここ四天王寺は大阪の市街地に広大な境内を持ち多くの人に慕われている地元のお寺さんです。

六時礼讃堂は1日に6回の礼讃を行うところからこの名があります。江戸時代初期の1623年の建立で、災害や戦争の被害を免れ現在に至る重要文化財です。

英霊堂と呼ばれる建物はかつての鐘楼です。鐘楼は文字通り鐘を吊るす建物です。通常は吊るした鐘の音が響き渡るように壁は無く柱だけの建物となります。こちらかつては日本一大きな鐘が吊るされていたと言う、鐘楼と言うにはあまりにも巨大な建物です。この建物が必要なほどの鐘がどれほどの物であったか、本当に見てみたかったです。現在は残念ながら現存しません。戦争の際に供出させられてしまいました。その後にお堂とするために壁が取り付けられて現在に至ります。

そのほか、小ぶりなお堂は数知れず。古いお堂は残念ながらあまりありませんが、いろいろ見て回るとそれぞれにその由緒があって面白いです。






