
寿福寺へ
寿福寺は鎌倉五山の第3位に列せられる古刹です。鎌倉五山とは、京都五山同様に格式のある禅寺の順位をつけたものではありますが、何を基準に順序をつけたという根拠は特に無く、当時の権力者創建の寺院や関係性の強さなどで選ばれています。鎌倉五山は、一位は建長寺、二位は円覚寺、三位はこちら寿福寺、四位は浄智寺、五位は浄妙寺です。ちなみに京都五山は一位の上の別格として南禅寺、一位が天龍寺、二位が相国寺、三位が建仁寺、四位が東福寺、五位が万寿寺です。

寿福寺の由緒
亀谷山 寿福金剛禅寺が正式な寺院名です。創建は北条政子と、鎌倉幕府が栄えたここ鎌倉の地にあって非常に由緒正しい寺院です。ご存知の通り北条政子は源頼朝の妻で、頼朝亡き後は尼将軍として権勢を奮った人物です。この地は元々は源氏の嫡流の居住地であって、頼朝の父親である源義朝の館があった場所であり、当初頼朝はここに幕府を建てようと考えたのですが、しかし場所的に狭かったため断念したようです。日本史上初の武士による政権を樹立させた源頼朝ですが、1199年に落馬が原因で死亡したため、政子が菩提を弔うためにこの寿福寺を建立しました。
鎌倉幕府成立の時期論争は無意味
鎌倉幕府成立の年代については、一般的には頼朝が朝廷から征夷大将軍に任じられた1192年となっていましたが、最近ではより古い時期の1185年あたりとする説のほうがより一般的になっています。この時点で頼朝が全国に守護地頭を置いて天下統一したということから、すでに幕府成立と言えるということです。しかし、近畿より西の地域の平定はなされておらず、また当時は「幕府」などという意識も呼び方もなかった訳であり、こんな成立時期の論争は無意味です。

寿福寺へのアクセス
寿福寺の説明に戻ります。こちらに訪れるには鎌倉駅を降りたら西口に出て、今小路を右に曲がり横須賀線の線路沿いをそのまま10分も歩けば十分に着くことができます。冒頭の写真の三門が通りから見えます。三門の前のちょっとした広場に人力車が止まって、寺の由緒などを流暢に語っています。写真を撮っているお寺巡り好きの人もたまにはいますがたいていは静かで、あまり人を寄せ付けない威厳を感じる佇まいです。ここは鎌倉の他の寺院とは異なり、観光寺院ではありません。通常は上の写真の中門より中には入れず、正月などの特別期間のみ本堂の前まで行って参拝することができます。

御朱印
御朱印を頂くことはできますが、なかなかに勇気が必要です。中門の右手の小さな案内書きに、説明があるのでそれに従ってみてください。

境内の裏の奥には北条政子と息子の源実朝の墓があります。頼朝と政子の間にはこの実朝の他に頼家もいましたが、なぜ頼家の墓がないのかはよく言われる不思議な話です。ちなみに頼朝の墓は鶴岡八幡宮右手の住宅地の奥にひっそりと佇んでいます。

寿福寺、鎌倉の楽しげでザワザワした観光エリアのイメージとは全く異なる、静寂の厳とした雰囲気を感じる時間を得るのも一興ではないでしょうか。