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建仁寺の歴史と見どころガイド

建仁寺の法堂は本堂を兼ねる

◆建仁寺とは

建仁寺は鎌倉時代の1202年(建仁2年)に臨済宗の開祖である栄西(ようさい)禅師によって開山された臨済宗建仁寺派の大本山で、「東山 建仁寺」と号します。寺号である建仁は年号から取られており、年号を寺号にすることができるのは格式の高い寺だけです。現在では祇園(ぎおん)と呼ばれる地域にあるこの境内地は鎌倉幕府2代将軍の源頼家による寄進で造営され、当時は鴨川のあたりから八坂神社(当時の名称は祇園感神院もしくは祇園社)までの四条通から南側が境内という広大な寺院でした。

建仁寺が所有する、琳派の代表的絵師 俵屋宗達筆の国宝 風神雷神図屏風。
方丈庭園の枯山水 大雄苑

開山の栄西は比叡山延暦寺で天台宗を学び、その後に禅宗である臨済宗を開きました。よってこの建仁寺は当初は天台、密教、禅の三宗兼学の道場でありました。後に、鎌倉の建長寺を開いた蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が入山して本格的な宋風の禅寺となっていきます。

法堂の花頭窓。

建仁寺の紹介では必ずと言っていいほど、「京都最古の禅寺」であると付け加えられますが、京都最古なら日本最古ではとも思えますがそうではないようです。同じ仏教でも、とかく新しい宗派は既存の勢力に弾圧されたり排斥の対象とされがちです。これまで、新しい宗派が誕生した際には必ずと言っていいほど弾圧されてきたという歴史があります。栄西がもたらした禅も同様であり、なかなか京都には寺を創建できなかったようで、九州の福岡に「聖福寺」を1195年に創建しています。これが日本最古の禅寺です。次第に禅の精神が武士の生き様と相容れるところが多いということで、鎌倉幕府の武士達が禅に帰依し、鎌倉幕府2代将軍 源頼家が建仁寺を創建するに至ります。

法堂の西側側面。2階建てではなく平屋

◆臨済宗寺院創建年比較

聖福寺 1195年 栄西(博多)

寿福寺 1200年 栄西(鎌倉)

建仁寺 1202年 栄西

(永平寺 1243年 道元(曹洞宗 参考))

建長寺 1250年 蘭渓道隆

東福寺 1255年 円爾弁円(聖一国師)

南禅寺 1291年 無関普門(大明国師)

大徳寺 1315年 大燈国師

妙心寺 1337年 関山慧玄(無相大師)

天龍寺 1339年 夢窓疎石

相国寺 1392年 夢窓疎石

境内の南方より三門を臨む。三門の北には法堂(はっとう)と方丈が一直線上に並ぶ。

◆建仁寺へ

建仁寺へはまず阪急京都線の終点の京都河原町駅、もしくは京阪電車の祇園四条駅から徒歩で四条通を八坂神社方面の東方向に進みます。鴨川を越えておよそ5分も歩くと祇園のメイン通り花見小路に出ますので右折して祇園甲部の花街(かがい)を進みます。しっとりした風情の町家建築のお茶屋などが広がる祇園甲部は京都五花街の中で最大規模の花街です。花街が終わったあたりに建仁寺の門が見えてきます。またバスで他の寺院から来る場合は東大路の祇園バス停か東山安井のバス停で降りて祇園の花街の方向に進めばたどり着けます。

花見小路に面した北門。

花見小路から来るルートだと北門をくぐり境内に入るとすぐに拝観受付のある庫裏(本坊)に着いてしまうため、勅使門から続いて一直線上に並ぶ三門、法堂、唐門、方丈の伽藍配置を確認することができません。方丈と法堂の見学が終わったら境内を南側まで回ってみることをお勧めします。

三門。

建仁寺は鴨川の東、花街(かがい)祇園の中にありますが、建仁寺の門前町として祇園ができたというわけではありません。前述の通り建仁寺の創建当初の寺域は鴨川から八坂神社まで広がっていて、現在祇園(甲部)があるあたりも全て建仁寺の境内でした。明治新政府の神仏分離政策の下で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という、神道優遇で仏教を排斥するという事態が全国規模で発生しました。寺の寺域が政府に没収され、仏像やお堂が破壊されるなどの事が日本中で行われ貴重な文化財の多くが失われました。建仁寺もその例に漏れず寺域の多くを没収されてしまいました。寺院の関係者にとっては屈辱以外の何者でもなかったはずですが、それでも建仁寺は現在でも京都最古の禅寺として繁栄を続けています。

方丈から法堂へ続く渡り廊下にある花頭窓から大雄苑を臨む。

◆庫裏(本坊)

建仁寺では、方丈及び法堂に入場しての拝観ができます。 庫裏(本坊)から建物内に入場すると大きな玄関になっているのでここで靴を脱いで上がり拝観料を支払います。御朱印は入ってすぐの左手にある窓口でお願いしておきます。

拝観受付と拝観入口にもなっている庫裏(本坊)の入口。

◆国宝 風神雷神図屏風

庫裡に入って直ぐ目の前の部屋に、俵屋宗達の筆による国宝「風神雷神図屏風」が薄暗い照明の中に浮かぶように鎮座しています。屏風の右側に風神を、左側に雷神を画面の端の上方に少し追いやったようなバランスで配置して描いています。屏風の中央ではなくあえて画面から少しはみ出して描いているのが、かえってまとまりのある構図になっている感じがします。この絵、元々はここ建仁寺にあったものではなく、建仁寺の末寺の妙光寺にあったものです。400年ほど前に妙光寺が荒廃した時に宗達がこの絵を寄進し、この絵を見たいと言う人が集まり復興につながったといい、その後建仁寺にたどり着いたというなかなか複雑な経緯をたどっています。

風神
雷神

◆方丈

その先すぐの方丈は廊下で繋がっており、枯山水の非常に広い方丈庭園の広がりが目に飛び込んできます。

方丈の前庭、枯山水の大雄苑

大雄苑(だいおうえん)と呼ばれるこの広い枯山水の庭園を前に、縁側で多くの観光客が佇んでいますが、思いのほか外国人観光客がひとりでもの思いにふけっている場面をよく見ます。大雄苑の庭の砂は雲を表し、奥にある石は雲から顔を出した山の頂を表しています。砂紋は水の流れを表現しており、どこから流れ出て、どちらへ流れていくかを目で追うのも楽しいかもしれません。

方丈の縁側で佇む人々

方丈の建物は1599年に、毛利元就や豊臣秀吉にブレーンとして仕え、関ヶ原の戦いでの首謀者として処刑された安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が安芸国から安国寺のお堂を移築したものとなります。

方丈庭園の枯山水 大雄苑

方丈に安置される十一面観音菩薩坐像がこの寺の御本尊であり、東福門院から寄進を受けた御由緒をもつ像です。

海北友松筆の重要文化財、雲龍図の襖絵

方丈の礼の間の襖絵は桃山時代を代表する絵師、海北友松(かいほうゆうしょう)による重要文化財の雲龍図です。海北友松は秀吉に取り立てられたこともある絵師で、武家の生まれだけあって猛々しい気性が絵に表れていることでも知られ、叩きつけるような荒い画風が特徴ですが、この絵ではそれは龍の眼だけに表れていて、他の部分は全体的に繊細に丁寧に描かれています。

◆小書院

小書院の中庭と、三尊石

方丈の回り縁をぐるっと回ると、方丈の裏手につながって小書院があります。中庭では3つの石を立てて配置した三尊石を中心に、一面の苔と青もみじが禅寺らしからぬ優美な景色を堪能できます。

◯△□の庭の、△が見える。

小方丈にはもうひとつ中庭があって、こちらは◯△□の庭と呼ばれています。それぞれ、樹木、砂の盛り上がり、井戸で形を表していて、ちょっとした遊びを感じます。

◯△□の庭の、◯と□が見える。

◆法堂(はっとう)

方丈庭園の脇の渡り廊下を通って、下駄箱のスリッパを拝借して法堂まで行くことができます。

方丈から法堂へ続く渡り廊下
渡り廊下

1765年に再建されたの法堂はこの寺の本堂でもあり仏殿も兼ねた建物で、「拈華堂」とも呼ばれています。法堂の本尊として釈迦如来坐像を安置しており、薄暗くて広くひんやりとした堂内で輝きを放っています。

法堂入り口

見どころは、禅寺の法堂には欠かすことのできない龍の天井画が、やはりここにもものすごい迫力で描かれています。二頭の龍がうねる様に空を舞っている双龍図ですが、法堂建立当時から描かれていたわけではなく2002年に創建800年を記念して現代の画家によって描かれた作品です。

法堂の天井に描かれる双龍図

建仁寺独自の構図で縦11.4メートル、横15.7メートル(畳108畳分の広さ)の大きさで阿吽(あうん)の口をした2頭の龍は、人間は教える人と授かる人が支え合っているという仏教の教えを表現しています。この絵を描くには広い場所が必要ということで北海道の廃校になった学校の体育館で2年の歳月をかけて製作されたといい、麻紙(まし)と呼ばれる丈夫な和紙に墨で描かれています。

龍の顔

◆境内

建仁寺を創建した栄西(ようさい)禅師はお茶の種を宋より日本に持ち帰り、お茶が広まるきっかけを作った人物でもあり、そのため建仁寺の生け垣はお茶の木でできています。

建仁寺の生け垣はお茶の木。

広く公開されている建仁寺ですが、栄西禅師を祀る開山堂は非公開となっており、建仁寺の中で最も神聖な場所となっています。

開山の栄西禅師を祀る開山堂。(非公開)

お寺の正門を通常は山門と言いますが、禅寺の山門は「三解脱門」(さんげだつもん)を略して三門と言うことがあります。建仁寺の三門は江戸時代後期の建立になる門ですが別の寺から移築されてきた門だと言います。

塔頭の龍源院に通じる小道が風情がありお勧めです。この道を抜けると八坂通に出ることができ、そのまま行くと法観寺、八坂の塔へ至ります。

塔頭の龍源院に通じる小道。

建仁寺は京都の観光エリアのうちでも人気の東山界隈や祇園に近く観光コースに組み込みやすい上に、建物内に入っての拝観が可能で境内の見どころも多いのでいつ行っても多くの観光客で賑わっています。