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西国三十三所巡りの京都編です。

西国三十三所(第十七番) 六波羅蜜寺

西国三十三所観世音菩薩巡礼第十七番札所は補陀落山六波羅蜜寺です。アクセス難易度は★(星ひとつ)です。京阪電車の祇園四条駅で下車して祇園の花見小路を抜けて建仁寺の境内も抜けると、天ぷらの有名店八坂圓堂がある八坂通りに出ます。この通りのさらに一本向こう、松原通りの幽霊子育飴で有名な菓子店の角を進むと六波羅蜜寺が見えてきます。

このお寺の周りの地域が今でも六原と呼ばれているのも、更に古くは鎌倉幕府の出先機関としての六波羅探題もちょうどこの辺りにありこちらの寺号から来ています。六波羅蜜寺の所在地は轆轤(ろくろ)町であり、また近くには六道の辻の六道珍皇寺があるなど、六(ろく)に絡む地名寺名が多いのも気になるところです。

などと考えて歩いていると六波羅蜜寺を通り過ぎてしまいそうになります。それほどにこじんまりとしたお寺です。三門、仁王門のたぐいは無く、境内は金属製の柵で道路と仕切られており(本堂の正面に石造の門柱があり金属製と思われるアーチが門であるとも言えます。普段は閉まっていますが。)出入り口は本堂の正面を少し通り過ぎたあたりにあります。入ると左手には御守などの授与所があり、振り返る位置に本堂があります。桔梗の花が所々で咲いており憩いの気持ちにさせてくれます。

手水舎の龍。岩から上半身だけ出てきたような格好が珍しい。
参拝者向けパンフレット。なんと言ってもこの「六波羅蜜寺」という文字構成がかっこいい。

現在はこの重要文化財の本堂と本堂の奥にある宝物館くらいしか建物はありませんが、平安時代には平家一門の館が寺内に建つようになり、平安後期には境内に5000軒を超える平家邸宅があったというほど広大な敷地を有していたようです。相当縮小されているとはいえ、平安時代創建のお寺が1,000年後の現在でも存続していることはとても荘厳な事だと思います。これは西国三十三所のお寺全てに共通することとなります。

現在の本堂は室町時代の1363年に再建されたもので650年前の建築になります。1969年に解体修理が行われ極彩色の文様や朱塗りの柱などが色鮮やかに蘇っているため、そんなに古い建築には見えないです。

六波羅蜜寺というこの寺号ですが、「六波羅蜜」というのは仏教界に於いての、悟りに至るための生きたままの状態での六つの修行を言うそうです。これを理解するのは難しそうですが、布施(見返りを求めない行い)、持戒(自らを戒める)、忍辱(耐え忍ぶ)、精進(不断の努力)、禅定(自分自身を見つめる)、智慧(仏の知恵)の六つで構成されています。空也上人が開山した時は西光寺と号していたため、現在の寺号は空也上人が付けたものではないことになります。

六波羅蜜寺の本堂にお参りします。内陣には破風の付いた非常に重厚で果てしない年月を重ねて来たであろう風合いの厨子が三つあり、中央の厨子に居られるのがご本尊で国宝の千手観世音菩薩です。秘仏で12年ごと辰年のみにご開帳されます。厨子の右隣に居られるのが御前立ち像であり、左手に居られる十一面観世音菩薩立像は5代目坂東玉三郎が寄贈した像です。ご本尊の十一面観世音菩薩像は空也上人が街中の病に伏せた人々に薬茶を提供して回った時に共にされた像だと言うことです。

このお寺の一番の見所はなんと言っても有名な空也上人の像です。本堂裏の宝物館に安置されており、南無阿弥陀佛と言う6文字が、口から6体の実物の小さな阿弥陀仏像として現れているという、他には全く例の無い表現方法として完成させているこの世で随一の像と言えます。出会った瞬間は余りの感動でその場を動けなくなるという感覚が忘れられないです。もちろん写真撮影はできませんので拝観時にお寺で頂いたパンフレットを載せておきます。

お寺で頂いたパンフレットより。

開山の空也上人について改めて寺伝を読んでみると、醍醐天皇の息子であるとのことです。門跡寺院の例もあり皇族が仏門に入ることは珍しい事ではないですが、空也上人のあの有名な像の姿からは想像できないというか、意外であると感じたのが正直なところです。余談で関連はないですが、一休さんとしてマンガなどにもなった、あの有名な一休禅師も皇族であったようです。一休禅師は生前は相当な型破りで異端な僧であったようですがそれがかえって人間一休の魅力であったとのことです。京田辺にある酬恩庵(一休寺)の一休禅師の墓は現在、宮内庁が管理しており立ち入りができないようになっています。

現在では小さい規模ながらも、存在感としてはトップクラスのお寺さんであります。「六波羅蜜寺」この5文字の漢字の構成も、寺号自体が持つ印象が独特だと感じます。