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西国三十三所(第十三番) 石山寺

西国三十三所観世音菩薩巡礼、第十三番札所は石光山石山寺です。アクセス難易度は★★(星2つ)です。京阪電車石山坂本線の終点石山寺駅で下車し、琵琶湖から流れ出る唯一の川、瀬田川沿いの道を徒歩で約10分ちょっとと言ったところでしょうか。せっかく石山寺駅とするのならもうちょっとお寺の近くに駅を作れば良いのでは、などと思いながら歩いているとやがて大きく張り出した屋根を持つ三門が現れます。東大門(ひがし・だいもん)といい、鎌倉時代の建立になる重要文化財指定の門です。

東大門は鎌倉時代建立の重要文化財。
運慶、湛慶親子の作、金剛力士像(仁王像)が睨みをきかす三門。

三門をくぐった途端、あまりにも今までの景色との変化が大きく戸惑うほどです。塔頭寺院の門構えが素晴らしく、通り過ぎるのはもったいないほどです。

この真っ直ぐの参道を歩いているだけだとここが石山寺と言う名前であることの実感は得られないでしょう。程なく行くと手水舎のあるあたりで大坂と呼ばれる石段を右に登ると段々とわかってきます。

石段を登り切った広場には迫力ある硅灰石の壁が迫って来るようにそそり立っており、石山寺の名前に大きくうなずく事となります。硅灰石(けいかいせき)は調べると珪灰石と書く事が多いようです。どの文献も表現方法も内容も難しすぎて要約を記そうかと思いましたがちょっと無理のようですが、ごく簡潔にするとカルシウムが多く固まったガラス光沢のある白っぽい鉱物と言ったところでしょうか。石光山と言う山号もこの硅灰石がどことなく光って見えますし、はるか平安の時代にこのような巨大な石山を目にしたら信仰を感じずにはいられない事でしょう。

うねるように迫り出して来る硅灰石の山。
三十八所権現社

こちら石山寺の本堂はその巨大な硅灰石の上に建つ1,078年再建の国宝建築です。紫式部が源氏物語を執筆した場所としても有名で、平安貴族の帰依を受けて大いに栄えたと言う事です。それにしても平安貴族という言葉が出るとよく、石山詣(もうで)、熊野詣、伊勢詣とあちこちお参りに忙しいように感じますが、当時は異常気象や地震、病気の流行などは悪霊の仕業であると考えられており、そういったものの原因や理論などがわかっていないと悪霊退治にすがるしかないという事であったのでしょう。現代社会ように仕事仕事、会議会議と追われた生活でもなかったでしょうから、残業に追われる現代の仕事人の感覚で捉えてはいけないようです。

懸け造(かけづくり)の本堂。
西国第十三番札所として風格さえ感じる。

ご本尊は秘仏の如意輪観世音菩薩で、石山寺の御本尊らしく台座が岩山となっており、半跏(はんか)の姿勢の丈六仏です。まず半跏というのは坐像ではありますが片足を台座より下げて座った姿勢の事で、奈良斑鳩の中宮寺の半跏思惟像が特に有名で素晴らしい例だと言えます。丈六仏は1丈6尺の大きさの仏像の事で御釈迦様の身長を基にして約4.8mほどですが、この大きさについては時代によって異なるようで、石山寺のHPでは5.3mと説明されています。

重要文化財指定であるご本尊の如意輪観世音菩薩ですが、日本で唯一の勅封秘仏であり33年ごとのご開帳となります。勅封秘仏とは天皇の命令によって封印される事を言い、現在では石山寺のご本尊のみであるとのことです。

33年に一度のご開扉(平成28年)の際のパンフレット
日本一美しいフォルムの多宝塔

本堂から更に登ると国宝の多宝塔があります。この多宝塔は源頼朝による寄進で、日本一美しいフォルムとされています。「多宝塔」というと最下層は四角形でその屋根は反りながら四角く広がり、第二層との接合部分では円形となり第二層は円形をしています。そしてその屋根はまた四角く広がっており更に円形の屋根上部へと繋がります。主に真言宗のお寺さんに多く建立されています。こちら石山寺の多宝塔は屋根の広がりが反りと共に大きく広がっており、二層目の円形部分がかなり細身になっています。これによりプロポーションの良いスタイリッシュな塔デザインとしてまとめられています。

平成28年に訪れた時はちょうど33年に一度のご開帳に当たりご本尊を直接お参りする事ができました。更に令和2年にも天皇の即位を祝してご開帳される予定となっています。