
◆東大寺とは
東大寺は今から1300年前の奈良時代に聖武天皇が国家安寧と疫病平癒を願って創建した寺です。743年に大仏造顕の詔が発出され、752年に完成しました。
平安時代も終わり頃の治承4年(1180年)12月に平清盛の息子、重衡による「南都焼討」で東大寺や興福寺などの寺院がすべて焼失し、東大寺の大仏は首が落ち、手は折れて横たわっていた状態。この2年後に平清盛は病死し、その3年後には壇ノ浦で平家は滅亡していますが、バチが当たったのでしょう。
そんな東大寺の復興に唯一名乗りを上げたのが醍醐寺の僧、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)でした。重源その時61歳でした。重源はそれまでに3度宋に渡り建築や美術を学んでいました。養和元年1181年に東大寺復興が始まり、その総工費は現在の価値に直すと約4600億円、当時寺にも朝廷にもその財力は無かったうえ、世間は大飢饉で大変な中を重源は全国を勧進によって資金集めを行いました。大仏完成時の絵を描いた一輪車を6台作り、弟子も含めた協力者とともに全国を巡らせて寄付を募っていきました。その最中に臨済宗の宗祖である栄西などの協力を得ることもありました。また、栄西からは当時博多に居た宋人の陳和卿(ちんなけい・建築や鋳物技術を持っていた)を紹介してもらったことは重源にとって大きな助けとなりました。(醍醐寺に、東大寺大仏殿の設計図が残されている。国宝)
大仏再建の際に開眼供養で目に墨を入れたのは後白河法皇でした。そうすると次に必要なのが大仏殿ですが、再建のための木材調達にも大変な苦労をしました。
鎌倉時代に復興がなりましたが、室町時代には再び戦に巻き込まれてまたしても大仏は焼けてしまいますが、この時は資金難から復興はなりませんでした。このあと焼けて壊れたまま100年近く雨ざらしの状態でした。
江戸時代の僧、公慶は残った大仏の螺髪を持って全国各地を回り復興資金集めに奔走しおよそ1万両の寄付を集めました。この成果で1686年から修復を始めて6年後に大仏は完成して現在の姿になっています。大仏殿の屋根を支える2本の柱の木材は宮崎から奈良まで総勢10万人の手により運ばれたもので、大仏殿は修復開始から23年後に完成します。
◆東大寺へ
東大寺へは近鉄奈良駅から徒歩で15分ほどです。JRの奈良駅からだとけっこうな距離があるので、バスを利用します。
◆大仏殿
大仏殿は高さ49m、横幅57mの世界最大級の木造建築です。屋根の上の両サイドにシャチホコのような形の鴟尾(しび)が乗っていますが、小さく見えますが実は高さ3mあり金箔1万枚使用しています。屋根瓦は11万枚使用しており、50年前の昭和の大修理の際には傷んだ瓦6万枚の交換作業に7年かかっています。
大仏殿を正面から見るとちょうど大仏の顔のあたりの位置に窓がありますが、これは桟唐戸(観相窓)と言い法要の時にだけ開く窓です。
東大寺大仏殿に鎮座するのは国宝の盧遮那大仏(盧遮那仏・るしゃなぶつ)です。大仏は、華厳経で光明遍照(ヴァイローチャナ)⇒ビルシャナ=毘盧舎那仏=盧舎那仏=釈迦如来と言う関係のようで、釈迦如来と同義のようです。本来、「釈迦」とは悟りを開いて仏になった人間である釈迦を言い、「盧舎那仏」は釈迦が悟りを開いて成った仏を指すのです。華厳経では盧舎那仏は人々を照らす光そのものであるとしています。
右手は施無畏印を結んで恐れを取り除き、左手は与願印を結んで人々の願いを叶える印相です。
国家安寧、疫病平癒を願い国民約250万人が寄付や造立に関わって約3年で造られました。その指揮を取り造立に協力したのが行基であり、日本で最初に僧侶の最高位「大僧正」を与えられた人物です。高さ15m、使用した銅は500トン、表面に貼られた金箔は440kg。
これまでに2度の火災に遭っており、1300年前の造立当時の姿を留めているのは下半身の一部のみです。上半身は平安時代や鎌倉時代に、顔は江戸時代に造り直されたものです。
お寺の仏様はたいてい写真撮影禁止となりますが、東大寺大仏殿内部は撮影可能です。かなり薄暗いので撮影時のレンズは明るいレンズを選択した方がいいです。(写真①)大仏殿の見学コースは大仏殿の前方、全体像を見渡せる写真②の位置からの入場となり、まずこの圧倒的な大きさに驚き、広い敷地に整然と建つ様に感動すら覚えます。そして写真③の位置に出ます。ここから大仏殿に向かって歩みを進め近ずいてみて改めてその大きさに感嘆の声をあげつつ、薄暗い堂内に大仏様を見つけることとなるでしょう。
大仏殿の前にある八角燈籠(国宝)は、東大寺創建当初に造られた日本最古にして最大の金属製灯籠で1300年間ここに立ち続けています。音声菩薩(おんじょう)が1面おきに配されて、すべて異なる楽器を奏でている絵柄が透かし彫りになっています。


内部の展示は、辿ってきた歴史を簡潔な展示物の紹介で見ることができるようになっており、特に説明など無くても楽しめます。大仏殿の内部にはお守りなどを買うことができる売店もあり、御朱印も堂内で頂きます。一通り堂内を見学してくると再び写真③の位置に戻ってきます。そうすると、外国人向け?のジャパングッズや和風テイスト溢れる品が揃うお土産コーナーがあり なかなか面白いです。


◆俊乗堂
東大寺再建に尽力した俊乗房重源上人を祀るお堂です。内部は非公開です。慶派の仏師が手掛けた国宝の上人像が祀られています。
◆戒壇堂
【鑑真和上ゆかり戒壇堂】 戒壇堂内部は撮影禁止なので写真が無いのですが、JR東海のホームページで素晴らしい紹介があるのでご参照ください。堂内には通常は外にある多宝塔が室内に建っておりその四方を四天王が守っているという配置です。四天王といえば、持国天、増長天、多聞天、広目天の四天ですがこちらの四天王、写真が撮れないので上記のJR東海のホームページを見て頂くとわかるのですが、持国天、増長天の表情と多聞天、広目天の表情が異なる事がわかります。表情と言うよりは、モデルとなった人種が違うと言った方がいいほどです。この多聞天と広目天、同じく奈良の 當麻寺の四天王と雰囲気が似ており、デフォルメされた表情の多い仏像に対してより人間実写的な、しかもどう見ても日本人的ではないお顔つきであります。これほど異国的な仏像は珍しいと感じます。是非お目にかかる事をお勧めします。


◆大仏殿裏
【大仏殿の裏を回って二月堂へ】戒壇堂からは大仏殿の裏を回って二月堂へ行く道があります。これを裏参道と言います。この辺の道も雰囲気が良く、観光客もそう多くはないので天平の時代の雰囲気を感じる事ができます。程なくすると、恐らく当時はここにも大きなお堂が建っていたのだろうと想像できる柱の基石が整然と並んでいる一帯があります。こういった歴史の名残や史跡を探して当時を想像するのは散歩の楽しみであります。

普段あまり見ることは少ないかと思うのですが、大仏殿の裏側からの眺めも楽しめます。あともう少し進むと二月堂へ続く石畳の道に出ますが、途中にコメが植えられた田んぼがあります。ここは二月堂供田といい、二月堂の行事でお供えする餅の餅米を作っている田んぼです。

◆二月堂
二月堂は、ここで毎年行われる修二会(しゅにえ)が旧暦の2月1日から行われていたためこの名前があります。2025年で1271回目となる修二会(お水取り)は3月1日から3月14日まで行われ、これまで1200年以上一度も途絶えた事がない不退の行法です。二月堂の隣の茶屋、龍美堂で出す行法味噌は修二会の最中に練行衆が食すものと同じものだと言い、この店は東大寺から秘伝の作り方を唯一教えてもらっているということです。
二月堂の石段下にある閼伽井屋(あかいや)と言う井戸を収める小屋がありますが、お水取りに使うご香水はこの若狭井と呼ばれる井戸で汲み御本尊に供えられるそうです。普段は榊と注連縄がかけられています。
平重衡(たいらのしげひら・平安時代。平清盛の息子)による南都焼討にも被害を受けずに済んでいたのに、修二会の松明(たいまつ)が原因で江戸時代に火災に遭ってしまっています。しかしその後再建されて現在でも風情ある佇まいで参拝者を迎えています。
御本尊は大観音、小観音と呼ばれる二体の十一面観音像ですが、絶対秘仏ということでお目にかかる事はできません。絶対秘仏とは、厨子(ずし)という仏像を収める箱がいつ何時も開くことがなく僧侶でさえ見る事が出来ない仏像を言います。よく三十三年に一度だけご開帳される秘仏がありますが、こちらは全く見る事ができないのです。神秘的ではありますが拝む対象が見えないというのも不思議な感じです。お寺によっては、仏像が存在しないのではないかという噂が広まっている所もありますが、こちらはそのような噂はありません。こちら二月堂は良い撮影スポットがたくさんあり、特に階段の途中から三月堂方向の景色が印象的ですし、舞台から奈良の街を見おろしての撮影もお勧めです。



◆法華堂(三月堂)(国宝)
三月堂ですがこちらもこの呼び名は通称であり、正式には法華堂(ほっけどう)と言います。二月堂同様に、かつて旧暦の三月に法要(法華会)が行われていたからこの名があります。法華堂は東大寺で現存する最古のお堂で、唯一の奈良時代建立の現存建築ですが入口手前の部分は鎌倉時代に増築されており、異なる時代の建築が合体している珍しい建築です。聖武天皇の子が1歳で亡くなったのでその子を弔うために建てたお堂だと言われています。
収められている仏像もすべて国宝で奈良時代の作です。1,300年前の建築と仏像が目の前に存在するという事がどういうことか、実際に確認できるという事実がここにはあります。御本尊は不空羂索観音の立象で、奈良時代特有の乾漆造で造られています。頭上の宝冠は弥生から古墳時代のガラス玉や色とりどりの勾玉(まがたま)が飾られており、世界三大冠のひとつと言われています。(他にルイ15世の冠、ツタンカーメンの冠)これは聖武天皇が所有していたものではないかと言われています。中央に不空羂索観音、向かって左隣に帝釈天、右に梵天、前方に2体の金剛力士、須弥壇の四方に四天王という配置で、すべての像が国宝です。
◆四月堂
四月堂は正式には三昧堂と言い、三月堂の正面というか道を挟んだ向かいに小さめの正方形の建築として存在します。二月堂、三月堂、四月堂それぞれで御朱印を頂くことができます。



◆大鐘と鐘楼(国宝)
鐘楼は鎌倉時代の建立で国宝です。音響を広く拡散させるために板壁を用いずに、さらに音をこもらせるために屋根を大きく作ってあります。高さ13m。
大鐘は752年造立、高さ4m、口径2.7m。奈良太郎と言う愛称があります。鐘楼の中に土産物売りコーナーが小さくしつらえてあり、こちらの方に「この梵鐘は何キロあるのですか?」と尋ねたところ「26トンです」とのご返答が!。また、撞座と撞木の当たる位置がズレているのが不思議です。こちらでも御朱印を頂くことができます。


◆南大門(国宝)
高さ25.5mの壮大な門です。奈良時代の南大門は倒壊してしまったために鎌倉時代に再建されています。と言っても800年以上も前の建築が現存しているのは凄いことです。そしてここを通る時は上を見上げて頂きたいです。天井が無く上部が見えるので、内部構造が良くわかります。ところで正面から見ると、通常外側を向いて訪問者を睨みつけている金剛力士像(仁王様)がありません。しかしご不在ではありません。この南大門の金剛力士像(国宝)は門の内側で向かい合うように立っておられます。高さ8.4m、重さ7トン、実際は5頭身ですが下から見ることによって7頭身に見えるように造られています。左側に立つのが阿形像(仏教では全ての始まりを表す)で運慶と快慶の作品、右側に立つのが吽形像(全ての終わり)で定覚と湛慶の作品です。仏師運慶をリーダーに、快慶も含めた弟子達と分業制で細かいパーツ6102個を作り、組み合わせて立像を作り上げています。しかも非常に短期間で製作が完了したと言います。向かい合って立つ理由は、「立場が異なる力のある者が居ると対立が起きるが、向かい合って力を合わせる」という意味が込められています。扁額にある「大華厳寺」とは東大寺の別の名です。


◆七重塔
かつて東大寺には高さ100mの七重塔があったとされています。1300年前に建立されたとされる七重塔は基壇が残っていることから実在したものとされますが、本当に七重だったか、高さが100mあったかというのは予想に過ぎません。大仏殿回廊の左右に二つの塔が建ち伽藍を構成していました。
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