実相院とは
床もみじという鑑賞方法をその寺の名物としてアピールした最初の例が実相院です。薄暗い部屋の床面にその先の庭に茂るもみじの葉の色が写り込んでいる、このシーンは有名です。最近では室内に反射するテーブル等を置いて同様のシーンを演出している寺などが増えていますが、こちらが元祖と言えます。

京都市左京区、岩倉にある実相院は創建当初からこの地にあったのではなく、鎌倉時代1229年大徳寺がある紫野の地に静基(じょうき)権僧正(ごんのそうじょう)と言う僧によって天台宗寺門派の寺として創建されました。権僧正とは、僧正と言う位の高い僧に続く位置にいる人です。幾度かの移転の後に応仁の乱の戦火を逃れるためにこの岩倉の地に落ち着きました。

江戸時代に入ると皇室との結びつきから門跡を迎え入れ門跡寺院となり、1720年には御所の建物を下賜され室内は狩野派による襖絵で埋め尽くされるなど華やかな時代を迎えます。
本尊は鎌倉時代の不動明王で、右足を前に出す、珍しい立ち方をされています。御所から下賜された建物なので本堂の内陣の須弥壇に立つという感じではなく、仏間に安置されているといった感じです。玄関をあがっておみやげコーナーのある廊下を右に曲がった先にある「使者の間」と言う部屋がその部屋になります。
実相院の現在
大宮御所から移築されたその建物は現存していますが、さすがに300年の月日を耐えてきた建物は現在では相当に傷みがあり多少の修繕では隠せないほどで、痛々しさも感じるほどです。実相院は檀家を持たない寺で墓地も持たないため、また建物が重要文化財指定となっていないため収入は拝観料のみです。よって大きな修復工事ができず、最近のコロナの影響もあり財政状況は相当に厳しいようです。クラウドファンディングなどを用いてどうにか修復工事を行おうという状況です。


実相院へ
実相院へは叡電の岩倉駅から徒歩15分ほどです。歩いてもさほど苦でもない道のりであり、本数の少ないバスの時間を気にするよりはいいかもしれません。途中に「岩倉具視幽棲旧宅」があり、かつて幕末に佐幕派と言う扱いで倒幕派から狙われ迫られた末の蟄居先がここであったようです。ちなみに岩倉具視と地名の岩倉が同じなのは偶然です。
拝観について
岩倉の住宅街を抜けると道の突き当たりに四脚門が10段ほどの石段を上がった先に構えています。5本線の入った築地塀(ついじべい)と菊の紋が描かれた提灯がさがり、ここが門跡寺院であることを物語っています。門をくぐり砂利道のアプローチを進むとすぐに拝観受付がありますので拝観料500円を支払ってあがります。御朱印はこちらの受付にてお願いしておきます。

室内は一切撮影禁止です。(庭園は撮影可)増築されたためなのか、ちょっと後付したかのような間取りの先を見ると、ありました床みどりが。
床もみじ
撮影不可の床みどり(もしくは時季によっては床もみじ)の部屋、「滝の間」は立ち入り禁止となっていて、手前の部屋から眺めます。あとから増築したかのようなちょっとシンメトリーではない間取りであり、手前の部屋から見る際の襖の柱が部屋の中央になくズレています。その手前の「公卿の間」には座布団が整列しており、しばし佇んで床みどりを眺めることができます。床は板張りで漆黒の深い色合いに塗られているのかもしくは材質の色なのか、表面には艶を出すような加工がしてあるのがわかります。広さは12畳ほどでしょうか、その奥に縁側というには少し広めの小部屋が同じ床面で繋がっています。中央2面の障子が開け放たれて庭のもみじが床面で緑を反射しています。室内の天井には少し不釣り合いの長い蛍光灯の照明器具がぶら下げられているが、これはあえて点灯させていません。かなり薄暗い室内で、きっちり平面でなく多少波打ったり節があったりする床面の艷やかで僅かな凹凸が揺らめくような反射を生み出しています。



300年前の建物も当時の狩野派の襖絵もそのまま永久に劣化しないなどということはなく、手入れや修復工事が必要であり、これらを後世に残すには大きな解体修復工事なども必要になるはずです。この実相院の問題はこちらだけの問題ではなく、同じような理由から貴重な文化財が消えていっている現状も多いはずです。個人レベルでできることは少ないですが、常に関心を持っていたいと感じました。