青岸渡寺へのアクセス難易度は
西国三十三所観世音菩薩巡礼、第一番札所は青岸渡寺です。アクセス難易度はいきなりですが★★★★★(星五つ)です。このシリーズでは、西国三十三所札所巡りの各札所への公共交通機関のみを使用してのアクセス難易度を5段階で提示していきます。

JR天王寺駅から特急くろしお号に3時間40分ほど乗車(自由席6,370円)すると紀伊勝浦駅に到着します。ここから熊野交通バスの那智山方面行きバスに乗車します。終点の那智山まで行くよりは、せっかくですので熊野古道を少し歩いてみたいです。30分ほど乗車し「大門坂駐車場前」バス停で途中下車すると、熊野古道の入り口がすぐです。入り口近辺は自家用車で来た観光客などが居ますが、薄暗い石畳の道をどんどん登っていくと次第に人影が減ってきて、厳かで神聖な雰囲気になってきます。古道を歩き始めてから40分ほどで青岸渡寺に到着しますが、ちょうど熊野古道を感じるにはちょうどいい距離ではないでしょうか。


一日の時間配分については注意が必要です。ちなみに天王寺を朝8時に出てももうすでに紀伊勝浦駅で11時40分です。次のバスは12時10分で、ここでお昼を取るとしたらバスは13時10分です。バスに30分乗って熊野古道を40分歩いて、青岸渡寺は14時20分です。2時間滞在した後、歩いて25分の那智大滝を15分見学すると17時です。17時11分のバスに乗って駅に17時40分、18時頃の特急に乗って天王寺には22時となります。途中の「補陀洛山寺」にも寄るとなると、かなり調整が必要です。大阪からの場合は1泊行程で考えたほうがゆっくり見ることができそうです。(マグロの水揚げ日本一の街です。)

正式には、那智山 青岸渡寺。創建の時期などはあまりにも古過ぎてしっかりとしたことがわかっていないですが、仁徳天皇の4世紀頃にインドの僧、裸形上人が那智の滝で修行したのがはじめとされています。平安時代になってから西国三十三所の中興の祖、花山法皇がこの山にこもって修行されたことから、ここを札所一番に定めたということです。
御本尊は如意輪観世音菩薩です。片方の膝を立てて座り、頬杖をついたような、何かを思案中のような表情が印象的です。こちらは秘仏となっていて特別な時にしか拝むことはできません。ほかのお寺の秘仏もそうですが、秘仏の場合は「御前立像」(おまえだち)と言って本尊を模した仏像が安置されているので、この御前立像を拝む事で功徳をいただくことができます。右手に「如意」宝珠を持ち、左手に法「輪」を持つため如意輪観世音と呼ばれています。

本堂は約430年前、豊臣秀吉による寄進で再建となった建物です。本堂のすぐ隣には朱の門があり、それをくぐると熊野三山のひとつ熊野那智大社がすぐ隣です。今では門や塀があって分かれていますが、明治政府の神仏分離政策以前は一緒に一つの那智山を形成していました。寺と神社が区別なく一体となっていて、その時は青岸渡寺という名前もありませんでした。寺の歴史は非常に長いのですが、青岸渡寺という寺名は明治以降からの短い歴史です。

一般的には江戸時代が終わるまでは、お寺の中に神社があったり、神社の中にお寺や仏堂があったりするのはよくあることでした。仏様の守り神として神社を祀ると言った形で、神仏習合と言います。明治初期の神仏分離令では廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という動きの下に全国各地のお寺でお堂や塔が倒され、仏像が破壊されるという事が起きています。

ここ那智山では、かろうじて残ったお堂を青岸渡寺というお寺として分離して残る事ができています。熊野三山のうちあと2箇所の本宮大社と速玉大社にも仏堂があったのですが、破壊されて残らなかったようです。ちなみに鎌倉の鶴岡八幡宮もかつては鶴岡八幡宮寺と名乗っている時期もあり、仏堂や塔が建っていました。京都の八坂神社の中にも仏堂がありましたがこれらは全て解体撤去されてしまっています。ごく稀に鳥居があるお寺もあるので、不思議に思った方も居るかと思います。大阪の四天王寺にも鳥居が残っています。現在だと、お寺に鳥居が?と思ってしまいますが、明治以前ではよくある風景でした。

境内の本堂向かって右遠方に、昭和47年に約400年ぶりに再建された三重塔と那智の滝が並んで見える絶景があります。あまりにも決まりすぎていて絵的なインパクトは三十三所随一だと思います。


日帰りの行程で来ている場合、
青岸渡寺御詠歌。
補陀落や岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく瀧津瀬